第22話
座面の丸い足高のイスに腰を落ち着け、俺はとりあえずグラスを合わせた。
「乾杯。私はカオリ。一応忠告はしてあげたわよ?覚えておいてね」
「りょーかい。俺はテンマ。天ぷらの天に、馬鹿の馬」
「何それ」
プッと軽く吹き出して、カオリは笑った。
「skyの天、に動物の、馬、ね。じゃあ天馬は何しにここに来たの?」
「ま、仕事、ってカンジ。地元の人しか知らなくて、ディープで、でも一見さんでも入れそうな穴場の店を見つけだしてきてトーキョーの出版社とかに教えるの。採用されたらお駄賃もらう」
「へぇ。いろんな仕事があるのね」
「カオリは何してる人?…って、俺当てよっと」
体のラインを強調した赤の服。男の俺にはそれがスーツなのかドレスなのかも分からない。7センチ以上はあるピンヒール。右手の指輪と長く揺れるピアスはどれもゴールドで、少し大きい。鎖骨から胸の不自然な盛り上がり。これは下着で寄せてるな。顔は、日本人にしては目鼻立ちがはっきりしている。メイクに違和感があるのは、それが外国人の好む日本人の顔に近づけているせい。普通は彫りを深くしたいのに、彼女はわざと薄く仕上げている。唇もどぎつい赤ではなく、ブラウン系で抑えめ。でもたっぷりとのせたグロスは、キスする場所はここ、と強く主張している。で、結構世話好きとみた。余所者の俺を心配してくれる程度には。
「わかった。キャバ嬢」
カオリは声を出して笑った。
「キャバ嬢なら今頃仕事中の時間でしょ?」
「まぁ、そうだ」
「正解は、建築士よ」
後になって知ったのは、彼女は本物の一級建築士ということ。
不思議なもので、この店にはそんな“ちゃんとした社会人”がちらほら混ざっていて、彼らは自分を自慢することなく上手に怠惰を演じているのだった。
『ホール』とか『レンタルホール』とだけ呼ばれる、名前の無い店。
客用の入り口は一カ所。授業員用は二カ所。モノで塞がれて使えない非常口は一カ所。窓は申し訳程度の高窓が四カ所。日によってクラブやライブハウスや画廊や小規模の劇場になる貸しホール。それ以外はブラックミュージックオンリーのバー。
それが、俺の選んだ店。
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