第6話

ホテル側に特別に用意してもらっているというグランドピアノの横を通り、京矢は紗季乃を寝室に招き入れた。


 てっきりすぐに唇を重ねるものと思っていた紗季乃は、脇のライティングテーブルから椅子を引き寄せた京矢に首を傾げる。


「――しないの?」


 率直に質問する彼女に苦笑いして、京矢は椅子を勧めた。


「話を聞くと言ったろう?…まずは君の事を聞かせて」


 ゆるいパーマの掛かった薄茶色の髪を掻き上げて、京矢は彼女の正面――ベッドの端に腰を下ろした。部屋着代わりのガウンを嫌みなく着こなす彼はロシアの血が四分の一混ざっている。そのせいか風貌は日本人にはないエキセントリックな色気があって、紗季乃とは真逆の存在感を持っていた。しかし二人は“芸術を極める”という根本の繋がりを感じていて、知り合ってからこういう関係になるまでに時間は掛からなかった。


 紗季乃は彼になら本音を口に出来る。恥ずかしい自分を、素直にさらけ出せるのだった。


「――面白い話じゃないわよ」


 彼女は拗ねた顔で横を向いた。しかし間を置いて、紗季乃は心情を吐露した。


「相変わらず、好きな人に告白できないだけ。そして多分、今日紹介されたのは――彼の恋人だわ」


「…多分って、そう紹介された?」


「いいえ。でも、きっとそうよ」


“明日の稽古にお邪魔して、紗季乃の稽古風景を撮影してもいいだろうか?”


 セリの依頼を二つ返事で受けた。狭量な女と思われたくなかったのだ。榊にも、セリにも。


 了承に顔を輝かせたセリ。それからホッと安堵した榊のあの表情――。『彼女は才能があるから、安心しろ』と子供にするように頭を撫でられた。


 滅多に私事を出してこない榊が、彼女の才能を褒め、彼女の望みの為に動いたのかと思うと――胸の奥がチリチリと軋むのだった。


「君らしくないな。ちゃんと本人に確認して、誤解ならさっさと好きだと言えばいいのに。…それで振られたら、その時はその時。――俺のところに来るといい」


 優しい冗談も、上手く返すことができなかった。


「とても綺麗な人なのよ。付き合っていても、いなくても、私じゃ適わない。それに、告白して振られるなんて、考えただけで落ち込むわ。だって彼が転職しない限り、ずっと顔を合わせなきゃならないのよ?」


 好きな男に対しては、どこまでもネガティブな紗季乃だった。

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