第5話
その夜。連日の厳しい稽古で身体はクタクタの筈なのに、目が冴えて眠れなかった。
何度も寝返りをうつ。天井を睨みつけて、壁の木目を穴があくほど見つめて――無理矢理瞼を閉じて数を数えて。
それでも睡魔はやってこなかった。
「…耐えられないわ」
がばっと身を起こし、紗季乃は携帯を手にする。電話をかけたのは、数回身体を重ねたことのある顔見知りの男友達だった。
『紗季乃か?どうした?』
深夜にも関わらず、電話の相手は怒った風でもない。紗季乃はそれに甘えて、これから行ってもいいかと訊いた。
『いいけど。明日も学校だろ?…迎えをよこそうか?』
「それはいいわ、目立つから。タクシーを使う。制服も用意するから、そっちから登校してもいい?」
『構わないよ』
「ありがとう。嬉しいわ、京矢」
通話終了のボタンを押して、紗季乃は素早く準備する。少し悩んで、友人の家に泊まる事、そこから直接学校に行く事をメモして机に置いた。それから時々利用するタクシー会社に、目立たぬ場所を指定してから、彼女はそっと家を抜け出した。
着いた場所は新進気鋭のピアニスト京矢の滞在するホテルの一室。
リサイタルで世界中を飛び回る彼は、日本でもホテル住まいを貫いていた。
「お邪魔します」
律儀に声に出す紗季乃に、京矢は微笑む。
「嫌なことがあったって顔をしてる。…おいで、聞いてあげるから」
長い指で、唇を撫でられた。その、繊細な指使い。これからの快感を予想して、紗季乃は思わず唇を舐めた。
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