第2話

「部屋まで連れて行ってあげましょうか」


 襖の向こうから、馴染んだ声が聞こえてきた。ここ数年、事務局として税理関係や仕事のスケジュールを管理し、紗季乃の身の回りの世話も務める男の声。


 ほっとしつつも、どこか緊張しながら、紗季乃は入っていいわよ、と声をかけた。


 男――榊啓介(サカキ ケイスケ)は無造作に襖を開け放つと、畳の縁も平気で踏みながら紗季乃の傍までやってくる。


 花柳流ほど歴史があり厳格ではないにしろ、森流の家元に雇われた者とも思えない所作だった。


「榊、行儀が悪いわ」


 眉をしかめると、榊は鼻で笑った。


「俺は弟子でも何でもありませんよ。そういう貴女こそ、足を投げだして」


「もう、感覚がないのよ」


 弱音を吐くと、榊は前にひざまずき、紗季乃の足袋を脱がせてやった。


「ほぐしましょうか?」


 少し迷ってから、小さく頷く。


 榊は着物の裾を膝下までそっと捲ると、ふくらはぎや足の甲、土踏まずを丹念にマッサージしてくれるのだった。温かく、大きな手。足首から膝裏までを擦る、丁寧な動き。


 けれどそこに他意はない。文字通り筋肉や皮膚をもみほぐすだけだった。


 ねぇ、榊?


 紗季乃は心の中で話しかける。


 あなたにとって、私は――女にはなれないの?


 紗季乃の目の前で、榊の黒髪が動きに合わせて揺れる。俯いていても、鼻の高いのが分かる。長い睫。アーモンドのような形のよい目。薄い唇。それから喉仏から鎖骨にかけての男らしい胸元。


 その胸に、頬を寄せたいのに。


 紗季乃はそっと、目を伏せた。

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