第53話

吹き出したビールをタオルで拭き、ティッシュで口元を拭いた美咲は、気持ちを落ち着かせるとビールを一口飲んだ。


「澪ちゃんには逢ったの?」


「…いや、まだ逢ってない。

 昨日から友達と旅行に行ってるんだって。

 明日帰ってくるらしいけど…」


美春から視線を反らす。


「イギリスに行ってから、全然連絡は取らなかったの?」


「取ってない。

 取ろうとも思ったけど…。

 そこまでの勇気はなかった」


君の声を聞いたら、きっと心は揺らいだだろう。


「まあ、あんたはフラれてるからねえ。

 流石にそこまで無神経ではないと思ってるけど。

 で、何で日本に戻って来たの?」


切っ掛けとなった出来事を話してみる。

あの日、久々に聞いた澪の声を思い出す。


「そう、そんな事があったのね…。

 もし、ありさが動いてくれなかったら、あんたはずっとイギリスにいたでしょうね」


ぐうの音も出ない。

まさにその通りだ。


「ありさが動いてくれなかったら、あんたはどうしてたの?

 あんなに好きだの大切だの言ってたのに、結局のところ、自分から行動を移した訳じゃない。

 本当に好きだったら、もっと早くに動いても良かったんじゃないの?

 自分ばかりが傷付いた顔をして、澪ちゃんの事を、気持ちを全然考えてないじゃない」


「違う、そんな事はないっ」


「違わないなら、この3年間あんたは何を見てきたの?

 確かに料理の修行も大事、それは解る。

 けど、本当に大切な事は、自分自身と澪ちゃんと向き合う事じゃない?

 毎日澪ちゃんの事を考えていたわりには、淡白なようにも受け取れるけど」


言葉が出ない。


「あんたも大変だっただろうし、辛かったと思う。

 でも、同じくらい…いや、それ以上に澪ちゃんは辛い思いをした筈。

 あんたがいなくなってから、笑顔も翳っていって、見ていられなかった。

 みんなに心配をかけないように、一生懸命取り繕って…。

 そんな澪ちゃんを、あんたは知らないでしょう?」

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