第38話

やっと顔を上げてみた。

黒髪のその人は、少年のような顔をしていて、戸惑ったような驚いたような瞳で澪を見ていた。


「美咲?

 いや、違うけど…」


我に返る。

無意識に止まっていた呼吸を再開させる。

少し苦しい胸を押さえながら、改めてぶつかった相手の顔を見てみた。

違う、美咲じゃない。

確かに似ているけど、この人は美咲じゃない。


「す、すみません…。

 知り合いに似ていたので、つい…」


言いながら、声が小さくなっていったのが解った。


「いや、構わないけどさ。

 それより、怪我はない?

 どっか変なところ、ぶつけたりしてない?」


「あ、はい、大丈夫です。

 ぶつかってしまってごめんなさい」


頭を下げて詫びると、軽く笑ったような声が聞こえた。


「そんなに謝らなくても大丈夫だよ。

 こっちこそごめんね。

 よそ見しながら歩いてた自分も悪いし。

 ところで、君この辺の人じゃないよね?」


「はい、旅行でこっちに来てまして」


「やっぱり。

 訛りとかないもんね。

 東京の人でしょ?」


「都内に近いところには住んでます」


相手はとても嬉しそうな顔になる。


「自分、ここでバイトしてるんだ」


背負っていたリュックをごそごそと漁り、1枚のやや小さなチラシを取り出すと、澪に差し出した。


「居酒屋なんだけど、酒が飲めなくても飯だけ食いに来る人も多いから、良かったら来てよ。

 ぶつかっちゃったお礼に、何かご馳走するからさ」


受け取ったチラシを見てみる。

地図的に、自分達が泊まるホテルの近くである事を知る。


「澪~っ!」


名前を呼ばれ、振り返ると夏と優がこちらに向かってきていた。


「も~っ、なかなか来ないから迎えに来てあげたんだから、感謝しな…うおあっ、イケメン!」


「澪、旅行は旅行でも彼氏をゲットする為の旅行だったの!?」


「ちっ、違う!

 これには訳があって!」


「お友達さん?

 よし、じゃあお友達さんにも何かご馳走するよ。

 ほんじゃ、待ってるからね~」


こちらに手をひらひら振ると、そのまま歩きだして行ってしまった。


「あ、名前聞くの忘れちゃった…」


遠くなる背中を見つめながら、ぽつりと澪は呟いた。

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