第83話

奴が着替えて戻ってきて、ちょっとしてからクライアントが来た。

タクシーを呼び、近くのホテルに入っているレストランへ。

贔屓にしてる店だから、すぐに席を用意してくれた。


食事をしながら、他愛ない(下らない)話を。

つまらん話にも耳を傾け、相槌を打たねばならない。

機嫌を損ねられたら、仕事に支障が出るからだ。


奴も話に参加はするが、腕時計をチラチラ見ている。

時間を気にしているのは解るが、クライアントの気に障ったら困る。

目で合図を送ると、諦めた表情になった。


2時間くらいで解放されると思っていたが、話は長引く。

アタシも仕事があるから、出来れば早く切り上げたいのだが。


ちらりと腕時計を見ると、16時を過ぎた頃だった。

そろそろ頃合いか。


「では、お時間もよろしくなってまいりましたし、そろそろこの辺でお開きとしましょう」


営業スマイルで言ってみる。


「お、もうこんな時間か。

 よし、気分もいいから飲みに行かないか?」


え?

思わず声が出そうになったが、ギリギリ飲み込んだ。


「君ら独身だろ?

 独りもんなら暇だろ?

 クリスマスに仕事してるくらいだし。

 うちは子供も大きくなったし、友達と遊びに行ってるしさ。

 なっ、行こう」


「お気持ちは嬉しいのですが、仕事が残っておりますので」


やんわりと断る。

前半の言葉にカチンときたが、今は気にしていられない。


「僕さ、神崎さんお気に入りなんだ。

 今日も君に逢いに来たし」


「ありがとうございます」


殴りてえ。

いや、でも出来ねえ。


「少しくらい、いいじゃない。

 ねっ、行こうよ」


「仕事が残っておりますので…」


めんどくせえ。

大して歳変わらねえのに、上から物を言いやがって。


次の言葉を考えていると。


「神崎は仕事が残っております。

 先程もこの後、他の会社に挨拶回りをしなくてはと言っておりました。

 たまには早くお家に帰られてはいかがですか?

 奥様も待っておられるのでしょう?」


奴が口を開いたのだった。


「クリスマスですし花束でも買って、奥様にお渡しになるとか」


にっこり微笑みながら言ってるが、奴の顔には『くたばれ、糞が』と書かれていた。


返答に困ったクライアントは、苦笑いを浮かべた。

アタシは心の中でガッツポーズをした。


「帰んぞ」


ぼそりと言った奴は、立ち上がった。

それが合図で、他の方々も立ち上がる。


ホテルを出て、クライアントを送り出し終わった。


「すまん、助かった」


「助けてねえよ。

 私が早く帰りたかっただけ」


こいつも大概素直じゃない。


「んじゃ、また来年」


「おう」


奴はタクシー乗り場に向かった。


「モリ」


奴が振り返る。


「…ありがとな」


奴はにいっと笑うと、タクシーに乗り込んだ。




お姫様の元へ向かう為に。

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