第79話

「…大切な、場所だったのですか?」


ゆっくりと声を出した。

奴はこくんと頷く。


「帰ってこない父親と、子供もの頃に連れてってもらった海岸です。

 今はもう、津波にやられちゃったけど。

 父親は行方不明で、生きてるのか死んでるのかも解りません」


聞いて良かったのか、悪かったのか。

作者の気持ちや心情を知る事は大切なのだが、辛い時は勿論辛い。

どう返答したらいいのか解らず、黙ってしまった。


「絵を描くと、父親が喜んでくれたんです。

 母親と2人で、凄く褒めてくれて。

 幼いながらに、嬉しかったんです。

 将来は画家になるなんて言った事もあったな。

 父親だけは賛成してくれたけど、母親にはちゃんと働きなさいって言われました」


思い出に目を向けたのか、奴はふっと笑った。

先程までとは打って変わって、柔らかく。

それでいて、寂しそうに。


「…今は会社に勤めてます。

 まあ、糞上司…失礼、苦手な上司から毎日嫌味を言われますが。

 勤めてもうすぐ2年になりますが、こればかりは慣れんですね」


「ふふっ、何処にでもそういう輩はいるもんですね。

 アタシも毎日刺されっぱなしで、心身共に穴ぼこだらけです」


アタシが笑うと、奴も笑った。


「お声掛けいただき、本当にありがとうございました。

 今はまだ、会社で働くなくちゃ。

 金も稼がなきゃだし。

 わざわざ声を掛けて下さったのに、期待に沿える返答を出来なくてすみません」


「とんでもございません!

 こちらの話を聞いて下さり、誠にありがとうございました!

 …もし森本さんがよろしければ、いつでも連絡を下さい。

 例えばいい作品が出来て、展示会に出したいなと思ったら、弊社に声を掛けて下されば全力を尽くします」


埋もれさせたくないと思った。

ほんの少しでもいいから、光を当てたくて。

どんな風に輝くのか、見てみたくて。

これはそう、アタシの勝手な我儘だけど。


「あはは、そんなに私の作品に惚れ込んで下さったんですか?」


意地悪そうに笑う奴に、心が波打つ。


「…そうですね。

 そうです、惚れ込んでしまったんです」


こんなにも心惹かれるものだったから。


「じゃあ、あの絵はえ~と……お名前、何でしたっけ?」


「神崎奈々と申しましたよ」


笑ってしまった。

さっき挨拶をしたばかりなのに。


「そうだ、神崎さんだ。

 神崎さんにあげます」


いきなりの言葉に面食らう。

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