第68話

こんな雰囲気にしてしまった。

楽しい時間を壊してしまった。


申し訳ない気持ちが溢れている。

何て言葉を言うべきか。

言葉に詰まる。


彼女は私に抱き付いたままだ。

涙を拭い、気持ちを落ち着かせ、一呼吸おいて。


「…お嬢ちゃん」


声をかけてみる。

彼女はそっと顔を上げる。

綺麗に化粧が施してあった顔は涙に濡れ、崩れてしまっている。


「…すまん、嫌な雰囲気にしちゃった」


「嫌な雰囲気なんかじゃないよ」


目蓋を閉じて、彼女は左右に顔を振る。


「ちょっとでも、森本さんの事を知る事が出来たのは嬉しいから」


悲しい思い出なのに、それさえも受け入れてくれた。

こんな話、誰もが受け入れてくれるもんではないだろうに。



風が冷たくなってきた。

夕方に差し掛かり、当たりも少しずつ暗くなっている。


「…そろそろ帰ろっか」


私の言葉に彼女は頷く。


私の体から腕を離し、立ち上がる。

濡れたままだった頬を、手で拭い始めた。


私も立ち上がる。

彼女の前に立ち、彼女の頬に残る涙を指先で拭ってみる。


「泣いたり笑ったり、忙しい奴だなあ」


彼女はふふっと笑う。


「昔、友達から『たきなは喜怒哀楽が激しい』って言われた事があるよ」


感情を素直に出せるのは、けして悪い事ではないと思う。

相手や空気を読み、気持ちを偽り、ひたすら笑顔を浮かべているよりずっといい。


「泣くよかは、笑ってた方がいいさ」


「泣く事はデトックスにもなるんだって。

 泣いてすっきりする時ってあるじゃない?

 泣くっていい意味がないって思われがちだけど、そんな事はないんじゃないかなって思うよ」


それまで指先で、濡れた頬を拭っていたけど、掌で頬に触れてみる。



「お嬢ちゃんは泣いてるより、笑ってる方が似合うと思うぞ」



自分でもこんな事が、口からすらすらと出ると思わなかった。

自分が一番びっくりしている。


言ってしまった手前、何だか恥ずかしさが一気に増して、慌てて手を離した。

私は1人で変な汗をかいてしまう。


キザすぎるし、いきなりだし、私は一体何様なんだ。

こんな事を言われた彼女だって、困ってしまうだろう。


彼女から視線を反らし、地団駄を踏みながら後悔を噛み締める。

言うならば、恥ずかしさと気まずさが鬩ぎ合い、その狭間で頭を抱えながらしゃがみこんでいる感じだ。


「森本さん」


名前を呼ばれ、ビクッと肩が上がる。


恐る恐る彼女を見ると、柔らかな笑みを浮かべていた。


「ありがとう」


何がありがとうなのか、解らなかった。


「寒くなってきたね。

 早く車に戻ろ?」


ぎこちなく頷き、歩き始める。


数歩くらい歩いた時、彼女が私の腕に自身の腕を絡めてきた。


「森本さんは優しいね」


優しいのは彼女の方だ。

けど、口にはしなかった。


夕日を背に浴びながら、帰路を辿るべく車へ。

帰り道はいつもの2人。

いつもと変わらない会話ややり取りをしながら、家を目指した。

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