第62話
静かな夜。
いつもはたまに大通りを、爆音をかき鳴らしながらバイクが走り抜けていくのだが、今夜はそれもなく大人しい。
時計の秒針が、時を刻む音が、何だか心地よい。
静かなままだったが、私が口を開いて静寂を揺らした。
「仕事が終わって、落ち着いたらどっか行ってみる?」
何の気なしに言ってみた。
右隣に座っていた彼女は、前を見ていたのだが、私の言葉に勢いよろしく顔をこちらに向けた。
「えっ、いいの!?」
驚いたような、それでいて嬉しそうな瞳が、てらてらと私を見つめる。
「…ココアを淹れてくれたお礼とでも思ってくれ」
何だか少し恥ずかしくて、こそばゆい。
「車?電車?バス?」
「車かな。
その方が楽だし」
「ドライブ大好き!
何処連れてってくれるの?」
「好きなところに連れてくよ」
子供のようにはしゃぐ彼女を見て、笑ってしまう。
素直なところは、彼女の長所だろう。
「美味しいもの食べたいし、道の駅も行ってみたい!
あ、でも一番行きたいのは海!」
海
海かあ…。
あの日から、あの出来事から、行かなくなった場所。
軋む胸を押さえはしなかったし、顔にも出さないようにした。
今は無邪気に笑う彼女の顔を、曇らせたくなかったから。
「一言に海って言ったって、沿岸沿いは海ばっかだよ。
北に行くのか、南に行くかでも変わってくるけど」
「よく解らないから、森本さんに任せるね。
何か遠足みたいな感じ!
すんごい楽しみ!」
嬉しそうに、楽しそうに。
些細な事なのに、彼女はとても喜ぶ。
「寝る為にココアを飲んだのに、そんなにテンション上げちゃったら、余計に寝れなくなんぞ」
「あ、そうだった!
けど、嬉しいから仕方ないよ。
お出かけ、楽しみだなあ。
着てく服、決めないと」
「楽しそうで何よりだよ。
私は仕事に戻る。
ココア、ごっつぁんでした。
早く寝ろよ」
ニコニコしながらこちらに手を振る彼女に、手を振り返し自室に戻った。
先程までの騒がしさが、嘘のように思えるくらいの静寂。
仕事用の椅子に腰掛け、彼女を何処に連れて行こうか考えてみる。
地元民故か、これと行った場所も浮かばない。
とりあえず、沿岸沿いは確定でいいだろう。
悲しみはあの日からそこにあって、今も胸を痛めるから。
その痛みを、悲しみを、寂しさを、癒す術など知らない。
どんなに時が流れても、言葉に出来ない想いが、今でも心を抱き締めたまま放してくれないし、離れてくれない。
溜め息をついて、仕事に戻るのだった。
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