第62話

私は、ええええ!と素っ頓狂な声が出るかと思ったが、

ただ、目を見開いて、小さな声で

「うそ・・・」とつぶやいただけだった。


父はにやっと笑い、

「嘘だよ。」と言った。


「へ?」

「いや、だから、ごめん。嘘だよ。土屋君でも蘭丸でもない。

普通の、しっかりした中学生だ。

あれから何度もお見舞いに来てくれてる。」


「ひえええ。と、父さん…。

ていうか、なんでまた、そんなしょうもない嘘を。」


父は、心の底から嬉しそうに笑った。

「ごめんよ。でも、父さん、嬉しくて、つい。」


「は?何が?何が嬉しいわけ?」

「美々子、お聞き。今日、父さんが病院に行って、

すると、なんと、ママが回復してるんだ。ものすごい勢いで。」

父は興奮していた。


「うそ!」

「うそじゃないよ。美々子も会えるよ。」

「うそ。ほんと!?」


「美々子が、ママがインドにいるって思い込んでたから、

どう言い出そうかと思ってたんだ。でも、もう、大丈夫だね?」


私は、ママがヨガの修行でインドにいるという、

あの自分の思い付きが急に恥ずかしくなった。


それで、話題を変えようと、

「あ、でも、催眠術の先生なんて。

父さんもいろんなお友達がいるのね。」と言った。


「心理学者だよ。うん、でも確かにそうだ。

父さんは、友人に恵まれてる。」

「謎のハッカーもいるし。」


「父さんはね。」と、真面目な顔になって父は言った。


「父さん自身は、何も才能がない。

でもね、昔、大学の講義の時、ある先生が言ったんだ。


自分だけで全てをしようと思っても絶対できない。

何かするときは、それが得意である友人と持つことだ。

人脈が大事だ、って。


ママのことが世間で話題にならなかったのも、止めてくれる友人がいたんだ。

だから、父さんは何もできないけど、出来る友達がいっぱいいるんだよ。」


「父さんは、何もできない、ってことはないよ。」

「そうかい、ありがとう。

いや、別に卑下して言ってるわけじゃない。ぼくにも才能はある。

才能ある友人をたくさん持てることと、

そして、人の才能に嫉妬しないで、きちんとそれを認めてることだ。」


「そうだよね、ママがバレエを続けることも止めなかったし。

あ、そうだ。才能あるママとは、どうして知り合ったの?」


そういえば、ママが太った人(と美少年)が好きだ、

って聞いてただけで、二人の出会いは聞いたことがなかった。

 

父は、ちょっと赤くなった。

「うん、ママとの出会いも、友人を見つけるのがうまい、

父さんの才能のおかげだな。」


「ね、話して。」

父はうなずいた。


「父さんの友人に、空手の先生がいるんだが、

彼が、たまたまテレビでバレエを見ていて、

その動きから目を離せなくなったんだ。


優雅で美しい、というイメージしかなかったが、

重心や体軸に注目して見ると、これほど厳しい動きはない。

それで、バレエ教室に行ってみた。」


「ママが先生をしていた教室ね。」

私は、むくつけき空手男が、

可愛いバレリーナに混じってバーレッスンをしているところを想像してみた。


「でも、そこの先生たちは、断ったんだ。

大人のバレエクラスはあったし、男性もいてたのだが、

空手をやってる男が来て、空手を極めたいのでバレエを知りたい、

と熱心に語るのが、気味悪かったらしい。」


「でも?」

「うん、そうだ。ママはそれを面白がって、

大先生に許可をもらって、

開いてる時間に個人レッスンをした。」


「もしかして、二人は恋に落ちたの?」

「いや。そう。彼の方はね。

もう、恋い焦がれてたよ。ぼくも相談を受けた。」


「あ、そうか。ママは美少年とデブ専門だものね。あ、ごめん。」

と、父のおなかをつい見てしまった。


「ま、そういうことだ。

いや、ぼくたちは、みんな、本当にいい友達だったよ。

ママもぼくの外見より、友人としてのぼくを気に入ってくれたんだと思う。」

と、父は今度は、正真正銘真っ赤になった。


それから、私達は何も言わず、しみじみと、麦茶を飲んだ。


「待って。父さん、違うって!

ママに、ママに会えるのね!私。」


と言って、喜びはしたが、

さっきから心に引っかかってることを、恐る恐る父に聞いた。


「父さん、あの・・・。蘭丸はどうなるの?」

 

父はしばらく黙っていた。

「僕もそれが少し心配で。」


「父さんも心配なの?

いやだ。大丈夫だって言って!」

私は思わず大声を出した。

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