第61話

父は私が泣き終わるのを待って、話をしてくれた。

 

私達はリビングに戻っていた。


蘭丸と土屋君はいなかった。

私の頼みを聞いて、外に出てくれたのだろう。

私は二人に心の中で感謝した。



「美々子、美々子は川に落ちていないよ。

ママだけが溺れたんだ。」

 

父は、麦茶のペットボトルを出して、二つのコップにそそいだ。

私はそれをごくごく飲んだ。

自分の分を全部飲み干し、父のコップにも手を伸ばした。

 

父は優しく笑ったが、急に真面目な顔になった。


「最初から話そうね。入学式の次の日曜日、雨が激しく振ったけど、

美々子がどうしても必要なものがある、買いに行く、ってきかなかったんだ。」

 

私は父を見ながら、小さく首を振った。

「全然、覚えてない。何だったんだろう。」

私に答えず、父は続けた。


「ぼくは、急な呼び出しがあって、仕事に行かなくちゃならなかった。

一人ではいかせられない、ってママが一緒について行ったんだ。」

 

ついて行けなかったことで父もきっと自分を責めてるだろう

というのがわかったので、私は何も言えなかった。


それよりも、全く覚えていないが、

わがままを言った自分が恥ずかしかった。


「でも、どうして川のそばを?」

と私が聞くと、父はちょっと笑って、

「ママが、好奇心を出して見に行こうってことになったそうだ。」

「どうして知ってるの。」


「ママから聞いたんだよ」

「え?あ、そうか。蘭丸を通じてね。」


父は何も言わず、私のからになったコップに、麦茶を注いだ。


「とにかく、君たちは川のそばを歩いていた。川は氾濫してなかったけど、

いつもは底の見えそうな流れなのに、信じられないほど水かさが増えていて、

濁流がごうごうと流れていた。

手すりはついていたが、腰までの高さだった。」

 

私は、聞きながらどんどん怖くなってきた。

あの小さい川だ。

川と言うより、広い溝のような。


岸は全てコンクリートで、金属の手すりが川に沿ってつけられていたが、

確かに腰の位置ほどだった。

 

あの川が濁流になるなんて、想像もできなかったが、

ママが見に行こうと誘ったのは、容易に想像できた。

私も、行こうと答えたに違いない。


「川の側がママで、美々子は道側だった。

傘をさして二人は歩いてたんだ。


そしたら、向こうから少年の乗った自転車が走ってきた。

傘も差さず濡れていた少年は、急いでいたのだろう。

美々子にぶつかった。」


「うわ。」

私は思わず、声を上げる。父は続けた。


「美々子。美々子はぶつけられて、バランスを崩したんだ。

川の方によろけて行った。

ママは、とっさに美々子を川の側から押し戻したんだ。


そしてその勢いで、手すりを超えて落ちてしまった。

あっという間に流されたそうだ。」


「それでどうなったの?」

「美々子は、何もできなかった。

自転車の少年が携帯で警察と救急にかけたんだよ。

ずっと下流でママは見つかったんだけど、意識はなかった。」

 

私は下を向いた。


ママに助けられたのに、私は、何もできなかったんだ。

何もできなかったんだ、それ以外の言葉が浮かばなかった。

 

私は下を向いたまま、じっとしていた。

「美々子が、そんなふうに、

いや、あのときはもっと自分の殻に閉じこもったので、

父さんは、例の友人に相談したんだよ。」


「ママが大変なときなのに。」

私は下を向いたまま、言った。言葉が戻ったようだった。


「いや、ママは、ICUに入ったし、父さんの出番はなかった。

それよりも、美々子が心配だった。」

 

私は、ずっと下を向いていたが、

心に引っかかることがあった。


ふと謎が解けたような感覚があり、顔を上げて父の方を見た。


「その、自転車の少年が、蘭丸だったのね。」


父は私を見た。そして、

「いや、」と否定した。


「その少年は、」と言葉を切り、私をじっと見る。


「その少年は、土屋君だったんだ。」

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