第49話

映画が始まった。

 

岩佐君のお姉さんが情熱を持って勧めるのがわかる。

始まりから目が離せなくなる美しい画面だった。


アジアの自然の美をあますところなく、カメラはとらえていた。

社会情勢と幼い恋が描かれていた。

 

淡い恋だったのが、主人公たちが成長すると激しいものになった。

 

実は私は、ラブシーンが大の苦手で、首が飛んだり、

内臓がべちゃっと飛び出したりは、全く平気なのだが、

キスしたり、男女が密着するのは、どうにもこうにもダメだった。

 

それがロマンチックなものであれ、エロチックであれ、

どちらも、気恥ずかしいというより、

やれやれ始まったか、という気持ちになる。

(おっさんと呼ばれている所以でもある。)

 

家だと、早送りをするのだが、映画館ではそうもできず(当たり前だ)、

ラブシーンの予感がしたとたん、私は映画からの集中を解いた。


 

ドリンクに手を伸ばして、ふと蘭丸を見る。

その向こうの土屋君も見えた。

蘭丸はゆったり背もたれに身を預けているが、

土屋君は、少しだけ前のめりになってたからだ。

 

ふん、土屋君ったら、ラブシーンが好きなんだわ、この俗物。

とか、意地悪く思ってたら、蘭丸の右手が、そっと動いた。

 

私が、蘭丸たちの方を見ているのを知っての動きだ。

すると、土屋君の息が一瞬止まる。

 

蘭丸が土屋君の手を握ったのだ。蘭丸、なんてことを。

 

土屋君の息遣いが変わった。


急に自分の呼吸を意識した呼吸になっている。

つまり、本当は、鼻息も荒く、はぁはぁ息をしたいのに、

それを必死で止めようとしている呼吸。

 

まわりに悟られないようにと、ゆっくりと静かに息をしている。

こちらまで緊張が伝わってきた。

私は、自分のことでもないのに、ドキドキした。

 

蘭丸をちらっと見たら、薄笑いをしている。


でも、スクリーンをまっすぐ見たままの蘭丸の目の下が、

少し赤らんでる気もする。

土屋君の「感情の高ぶり」を楽しみつつ、

自分も少し興奮しているような。


私は、蘭丸が憎らしくなって、蘭丸の左手を取って、ぎゅっと握った。

蘭丸は、少し身じろいだ。

 

それを感じたのか、土屋君がちらっと蘭丸を見る。


私は、その前に目をそらして、

映画の画面を食い入るように見ているふりをした。


画面ではふたりが、さらに激しく抱き合っているところだった。


土屋君が、はっと息を飲んだ。


もし、周りの人に聞かれても、

思春期の少年がラブシーンを見て、

興奮しているのだろうと取られるような息遣い。

 

でも、私にはわかった。


蘭丸が手と指を動かして

土屋君の手の平や指の腹を撫でさすっているのだ。


土屋君は、もう蘭丸を見ることができないだろう、

恥ずかしくて。

 

私は、横目で蘭丸を見た。

蘭丸は、少し唇を開けて、うるんだ眼をしていた。

 

こうなったら、と妙な負けん気が出て、

私も右手でつないだ蘭丸の手の甲を、左手でゆっくり撫でさすった。


蘭丸の肩がかすかに上下する。

 

すると蘭丸は、私とつないだ手を動かし、

指を深く絡めてきた。

いわゆる恋人つなぎ、というあれだ。


そして、ぎゅうっと強く握った。

蘭丸の手は大きく、指は長く、

私の手は、すっぽり包まれているようだ。


 

蘭丸は、右手で土屋君を、左手で私を、それぞれもてあそび、

私たちを支配して、自分も静かに興奮しているような、

満ち足りたエロい表情をしていた。

 

くー。性悪美少年ここに極まれり。


私は、蘭丸にあきれ、憎たらしくもあったが、

手を離せなかった。


心と切り離された、私の身体が気持ちよかったからだ。

 

ううう。性欲に支配されてるぞ、美々子。


でも、このまま永遠にこの状態が続いてほしい、

と思ったりしていた。

 

とにかく落ち着こう。

もうすぐラブシーンも終わる。映画の続きを観たい。

 

私は左にあるドリンクホルダーのコップを左手に取って

(右手はまだ、恋人つなぎのままにしてある)、

ストローで吸った。


少なくなってきているのか、ズズズと、

かすかな音がして、ちょっと恥ずかしくなる。

 

急に、私と手をつないでいた、蘭丸の手が引っ込められた。

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