第33話

「試合中ですが、点数が変わります。」

というアナウンスが聞こえた。


「今のヤジ合戦。1年B組に、1点が加点されました。」

ざわざわ言う声の後、歓声が上がった。


「粋なことをするなあ。いいぞ、審判!」

審判の3年生がみんなに手を振った。拍手が沸き起こる。


2Eのベンチから何人かがブーイングをしたが、

拍手と歓声にかき消された。


蘭丸は笑いもせず、

無表情でバッターボックスに向かって歩いていた。


そのとき、2Eから、さっきのヤジと同じ声が

「おい、蘭丸、双子の妹とは、近親相姦なのか。」

と叫んだ。


歓声が消え、ざわざわとしたざわめきになった。


私は頬が赤くなったらどうしようかと思ったが、

肩の力が抜け、無表情になっていた。

むしろ血の気が引く感じ。


狭間さんが私をじっと見ているのが感じられたが、

私は顔を上げたまま、蘭丸を見ていた。


蘭丸は、冷たい目どころの騒ぎじゃなかった。


全身から、「ゴゴゴゴゴ」という漫画の擬音の吹き出しが見えるほど、

静かな怒りに満ちていた。


おりしも遠来が響き、それに合わせるような効果音となった。

審判が

「2年E組、下品なヤジは避けるように。1点マイナスだ。」

と言っても、歓声もブーイングも湧かない。


みな蘭丸を見ていた。蘭丸は、

「すみません。タイム。」と言って、

グラウンドの端の水飲み場に走っていった。


頭から水をかぶる。

誰かが息をのむ声が聞こえる。

頭を振って戻ってくる蘭丸を見て、女子の一人が

「よっ!水も滴るいい男!」と声をかけた。

しかし、それに追随する声はなかった。


蘭丸が審判に、

「審判。申し訳ありません。頭を冷やしてきました。」

と言い、審判もうなずいた。


バッターボックスで頭を濡らしたまま、

蘭丸はバットを構えた。


水道で頭に水をかけてきたのは、

感情の高ぶりで頭がびしょぬれになる、

あの不思議な現象を隠すためだ、と私は気づいていた。


蘭丸、ごめん、がんばって、と私は心の中で祈った。


蘭丸は、初球のボールを見送り、

2球目、胸のすくようなホームランを放った。


全身のしなやかな筋肉が美しい動きをし、

そのバットが、ピッチャーの渾身の剛速球をとらえた。


当たれば飛ぶ、と岩佐君も言っていた。

大歓声の中、戻ってきた蘭丸は私を見た。


みんなは蘭丸を見ていたが、

土屋君と狭間さんは私を冷たく見ていた。


私は、立ち上がり、

「わ、私の好きな人は、柔道部副キャプテンの岩佐さんです!」と叫んだ。


みんなは一瞬蘭丸を忘れ、

ヒューヒューと叫び、口笛を鳴らした。


私は恥ずかしくて岩佐君のほうを見れなかったが、

岩佐君は驚いた顔をした後、

まんざらでもない笑みを浮かべて、

立ち上がってみんなに手を振っていたそうだ。


それはのちに、「ヤジにまぎれた告白タイム」という新たな伝統になり、

私はその開祖として感謝される(あるいは失敗した者から恨まれる)ことになった。


「ちょっと待って。逆転したわ」

と狭間さんが叫んだ。


「ヤジで2点もらったので、同点になって、

蘭丸君のホームランで、逆転よ!逆転だわ!!」


ウオーという歓声が1Bで起こり、皆は立ち上がって喜んだ。


「このままぶっちぎるわよ!」

狭間さんが叫ぶ。


「次、代打、川崎美々子よ。」

と狭間さんは、審判に告げ、笑って私を見た。


「告ったその勢いで、ばしっと決めてきて。」

私は、黙ってうなずいてバットを手に取った。



2日間の間に蘭丸と土屋君にバッティングを見てもらっていた。


1回戦の時もうまく当てて1塁打を打ったのだ。蘭丸が

「大きく振らなくていい、芯に当てろ。」と私の目を見て言った。


普段は目立たないようおとなしくしていたが、

実は私も負けず嫌いだ。


バッターボックスに立ち、2Eの応援席をじろりとにらんだ。

「岩佐くううん~~~。」とヤジが飛んだ。


私は、声のした2Eのベンチに向かって

「なめた口きいとったら、殺すぞ、こら。」

とドスの利いた声で叫んだ。


最後の「こら」の「ら」は、

自分の言うのも何だが、見事な巻き舌になっていた。


2Eのベンチが静かになる。

というか、何も聞こえなくなっていた。

叫んだことでアドレナリンが身体中を駆け巡っていたからだ。


興奮はしていたが、頭の中は妙に冷静だった。

そしてなぜかいい気分だった。


初球にいい球が来たので、教えられた通り、リラックスしてバットを振る。

手首に重い感触が来る。

当たった。打球は1.2塁間を破り、バウンドしてライトまで届いた。


1塁コーチの土屋君が、ストップと叫んだので、1塁で止まる。

歓声が耳に入った。


興奮したままの私は、2Eのベンチに向かって、

中指を立て、舌を思いきり突き出した。


とんでもない顔だったと思う。

でも平気だった。むしろ気持ちがいい。


見ると、土屋君が、2Eベンチにお尻を向けて、

お尻をいやらしく振り、

思いきり突き出した自分のお尻をペチンと叩いている。


1塁は、祭り状態だった。


審判が笑いながら、

「そこ!下品すぎ。1点減点!」と叫んだ。

みんなの笑い声がピークに達する。


狭間さんが立ち上がって、

めちゃくちゃ怒ってるのが見えた。


せっかく逆転したのに、今ので同点になったからだろう。

土屋君が私に、

「川崎、どうする。代走立てようか?」と聞いた。


「いや、頑張ってみるよ。」と言うと、

土屋君はうなずいて、私にニヤッと笑った。

「やるなあ、川崎。」


「土屋君こそ。」小さな声で、二人で話してるうちに、

私の中のアドレナリンがしぼみ、急激に疲労を感じた。


「ごめん、土屋君、やっぱり代走たのむわ。」


「おい、川崎、顔が真っ青・・」という土屋君の声が小さくなり、

グラウンドが私の方に向かってきた。

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