第34話

雨が顔に当たる。


この雨のにおいを私は知っている。

それからもっと怖い、想像もつかないような水のにおいも

私は知っている。と、思いながら、目が覚めた。


「あ、川崎さん、大丈夫?」

丸田さんの心配そうな顔が見えた。

丸田さんの髪も濡れている。


私は救護用のテントに寝かされていた。

「丸田さん、どうしたの?濡れてるよ。」


「何言ってるの、あなたもびしょ濡れだったじゃない。

このままだと風邪ひかないか、心配になってたところよ。」


「あ?え?私、どうしてここに?あ、試合。」

と言って起き上がると、頭がふらふらした。

からだの上には、何枚もタオルがかけられていた。


「ほら、大丈夫?あなた貧血で倒れたのよ。

もう、興奮しすぎだって。」

と、心配な顔をしながらも、くすくす笑ってる。


「あの・・・。試合どうなったの?」

「うーん。負けちゃったわ、残念ながら。」

「うそ。ごめん。私のせいかも。」


「違う違う。ヤジの点数はともかく、」

と丸田さんはにやりと笑い、

「結局うちが入れた点は、蘭さまの1点だけだし。

向こうはあの後2点も入れたのよ。」


「え?じゃあ蘭丸は?」と私は小声で聞いた。


丸田さんは、こほんと咳払いをして、

「それがすごかったの。

川崎さんが倒れると、蘭様が『美々子~~!!』って叫んで、飛び出したのよ。

おりしも落雷が鳴り響き、

ほら、その前からゴロゴロ鳴ってたじゃない?すごいのよ。

そして突然のスコールよ。

さすが蘭様だわ。お天気まで味方につけてる。」

と、うっとりした声を出した。


「それで蘭・・」

「待って。蘭様、あなたをお姫様抱っこして、ここまで運んだのよ。

びしょ濡れになって。すさまじい嵐の中を。」


なんだか、どんどん設定がエスカレートしてる気がしたが、

丸田さんは、私を遮って続けた。


「女子はみんな、ため息ついたわよ。

あなたがその前に、岩佐君好き好き告白してなかったら、

ほんと、暴動が起こってたかもしれない。」

「ひゃ、えっと、それじゃ、」


「驚くことに、」

と、丸田さんは、私の羞恥を無視して続ける。


「嵐は、急に収まったの。

それで試合は続行ってことになったんだけど、

蘭様は、父に連絡してきます、と言って、

そのまま帰ってこなくて、なので負けっちゃったの。

狭間さんカンカンよ。」

丸田さんは舌を出して笑った。


「それに、やっぱり、あのキャッチャー、試合に勝ったどさくさで、

土屋君にあのごっつい腕でハグしたのよ。

土屋君、気の毒に、固まってた。」



どれくらいの間、横になっていたかわからない。

からだは濡れていたが、

乾いたタオルをたくさんかけてくれていたし、

気温も高いので、寒気もなかった。


頭はまだちょっとふらふらするけど、

座って、丸田さんの陽気な笑顔を見ていると、

楽になってきた。


保健室の先生が来て、

「川崎さん、頭も打ってないし、たぶん軽い貧血だとは思うけど、

念のため病院で診てもらってね。あと、寒気はない?」


「はい。ありません。ご迷惑をおかけしました。」

「迷惑だなんて。私も楽しませてもらったわ。」

と先生は、ニコッと笑った。


「立ち上がれる?ゆっくり起きてね。」

先生に言われ、私はそろそろと立ち上がった。


「はい、もう、フラフラしません。」

「先生、私が一緒についてますので。」と丸田さんが言った。


それから歩いているときも着替えているときも、

丸田さんはしゃべりづめで、

ソフトボール大会のその後を教えてくれた。



決勝は、私たちに勝った2年E組と先生チームだった。


さすがに先生チームに対しては、

2Eも下品なヤジは飛ばせなかったそうだが、

先生チームの方は容赦がなかった。


「○○~、お前の点数、ここで披露してやろうか」とか、

「打ったら、欠点にするぞ。俺は本気だ。」とか。

クラスには、準決勝で負けていてよかった、と言った子も多かったそうだ。


「でも、狭間さんは別よ。」

丸田さんは言う。


私たちは着替え終わって、教室で帰る用意をしていた。

もう誰も残っていなくて、みんな帰った後だった。


丸田さんは、ずっと私に付き添ってくれてたのだ。

おしゃべりだけど、すごくいい人だ。


「狭間さん、本気で優勝を目指してたみたいなの。

1年で優勝なんて、ほんと快挙だし。

それで采配振るった、ってことになれば、」

と急に声を落として、

「ほら、彼女、ミス1年になれなかったでしょ。

来年をねらってるんじゃないかなあ。」


「ふうん。あ、そういえば、ミス1年って誰だっけ?」

と私が聞くと

「さすが、川崎さん。半端ない浮世離れだわ。」

と丸田さんはくすくす笑って


「ほら、F組の川北さんじゃない。

って、知ってる彼女のこと?」

「えっと、知らないかも。」


「うわあ、やっぱりなあ。

あ、でも無理ないか。川北さんはそんなに目立たないし。

ま、ミスター1年があれだし。さわやか美少年土屋君だしね。

そこに蘭様登場でしょ。あ、噂をすればよ。」

と、教室の入り口を指さした。


「今通ったわ、見てみる?」

私たちは廊下を出た。


背の高い短髪の女子が向こうに向かって歩いていた。


「川北さん!」

と、丸田さんが呼んだのでびっくりした。


彼女が振り向いた。

ショートカットなので、さわやか体育会系女子かなと思ってたら、

宝塚風だった。


男装の麗人をすっぴんにした感じ。

こりゃ女性票が動いたな、と思った。


「あら、丸ちゃん、久しぶり。」

丸田さんを認めた川北さんが、にっこり笑った。


笑うと、きつい感じが消え、幼いイメージになる。

狭間さん、分が悪いな、と思わず笑ってしまった。


すると川北さんは、私に気づいて、丸田さんを見た。

「そ。蘭様の。」と丸田さんがうなずく。


「あなたが、有名な、」

と川北さんが言いかけると、丸田さんが

「今までは、蘭様人気にあやかってたけど、

今日からはヒーローよ。準決勝見なかったの?」

と川北さんに聞く。川北さんは、

「ごめんなさい。1回戦で負けちゃったので、

ずっと部室にいたのよ。」と言ったので、私は思わず、

「まさか、演劇部?」と言ってしまった。


川北さんは笑い、

「そ。まさかの演劇部。

部長さんにこの宝塚風をスカウトされて。」と言って、くるりと回った。

いや、なんていうか、いい感じだなあ。

狭間さんとは大違いかも。


「ね、ね、川北さん。

この川崎さんも、ぜひスカウトしてもらって。

今日の啖呵なんて、すごかったわよ。」


「なになに、どうしたの?」

と興味を示した川北さんに、丸田さんは

「巻き舌で、なめとったら殺すって。

そりゃもう、アウトレイジよアウトレイジ。」


「丸田さん、やめてよ。」

私が言うと、川北さんがしげしげと私を見て、

「こんな可愛い人が?」と目を丸くした。


私は嬉しくて赤くなった。

「可愛い人」なんて言われたのは初めてだからだ。


それも、こんな綺麗でかっこいい人から。なので、

「いや、ほんと、全然可愛くないし、

蘭丸とは似てないし。自分でもわかってるのよ。

実際、可愛いなんて言われたの、初めてだから、ちょっとびっくりして。」


なんて、つい言ってしまった自分に驚く。

驚いたのは、丸田さんもだった。


「何言ってるの、川崎さん。あなた、可愛いわよ。

いや、蘭様繋がりじゃなくても。

なんていうか、ブリブリかわい子ぶったところが微塵もないから、

可愛い~~って感じじゃないけど、なんていうかなあ。」


と丸田さんが一瞬言葉を切ったところに、川北さんが、

「姿勢がいいのよ。立ち姿が綺麗だわ。」と言った。

丸田さんも

「そう、それ!」とうなずく。

 

私は、胸が熱くなった。母を思い出したからだ。

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