第22話

連休も過ぎたある朝、洗面台で歯を磨いていると、

蘭丸が横に立った。


「今朝もジジは一人で起きれれたね、えらいえらい。」

とにやにや笑ってる。

私はぼんやりした目で鏡の中の蘭丸をにらんだ。


「寝起き悪いんだから、しゃべってこないで。」

と不愛想に言うと、蘭丸は鏡に映った私の顔をしげしげ見ている。


「ふん。何言いたいんだか、わかるわよ。

もっと可愛くしたら、とかでしょ。」

「うん。」蘭丸がにっこり笑った。


そして、真面目な顔になって、私を見た。

「ね、あれこれ言わないよ。ひとつだけ。この表情覚えて。」

と、蘭丸が言って、表情を変えた。


うわあ、びっくり。

めちゃくちゃ可愛い。


目がますます大きくなって、つむった口元は、

生真面目なようで、ほほえみを秘めている。


「じっと見てるように見えて、何も見ない、これがコツなんだ。」

蘭丸は目元を動かさず、口を小さく動かして言う。


「ほら、美々子もマネをして」


「できないってば。」

首を振る私を無視して、蘭丸は続ける。


「目の奥を緩める。ね、ぼくを見て。

一点を見つめているように見えるでしょ、でも違う、視野を広く保ってるんだ。

すると目も自然と大きくなる。

それに、何よりも首の緊張が解けて、肩も滑らかになってくる。

ほら、首が柔らかく伸びるでしょ。」


思わず、言われたとおりにしていた。


鏡の中の私の顔が美しくなったかどうかはわからないけど、

確かに首筋が伸び、そのあたりから、なんというの?気品?まさか。

でも、優美さみたいなのが立ちあがってくるのを身体の内部で感じる。


「ジジは、いつも肩の力が抜けてるのは、すごくいいなって思う。

だけど、首から胸にかけて、ちょっとした緊張があるんだよね。」


「ああ、わかる。その緊張がほどけてる気がする。」

私は素直にうなずいた。


「上下の歯はかみしめないで少し開けて、

唇だけ閉じる。そう。で、口角をほんの少し上げる。」


クラスの集合写真のような、

ぼーっとしながらも緊張感のあるいつもの顔が消えて、

柔らかい表情の私が鏡に映った。


蘭丸が私の後ろに回り、後ろから私のあごを両手でそっと挟んだ。

そして、頭の位置を微調整した。


「あ、いいね。うん、別に可愛く見せようなんて思わなくていいんだよ。

感じのいい顔ってあるでしょ。それを心がけていれば。」


ふうん。そういうものなのか。


「で、たまににこって笑えば、柔道部の副キャプテンも落とせる。」

首をかしげてにやりと笑った蘭丸の前で、

鏡の中の私は元の不機嫌な顔になった。


「何それ。バカにしないで。」

私は水を勢いよく出して、顔を洗った。


蘭丸は、笑い飛ばすかと思ったのに、急に泣きそうな声になって、

「ジジごめん。ママが悪かったわ。」と言った。


私は中腰のまま、顔を上げて鏡を見た。


鏡の中の蘭丸がママに戻っていた。

蘭丸の顔をしたママじゃなく、本当のママだった。


ママの綺麗な顔がそこにあった。

背丈も戻っていた。


私はとっさに振り向いた。

でも、そこにママはいなくて、蘭丸がいた。

もう一度鏡を見ても蘭丸しか映っていない。


その刹那、私は蘭丸が憎くてたまらなくなった。


「蘭丸。どうして蘭丸なの?私、ママに会いたい!」


そう叫んで私は蘭丸の胸を叩き、

小さい時、ママの胸に飛び込んで泣いたように、蘭丸の胸に顔をうずめた。


蘭丸は私を抱きしめた。


冷たい?

蘭丸の頭はびしょぬれだった。私もだ。

振り向いた拍子に、洗面台がシャワーに切り替わったようだ。


二人でびしょぬれになって、蘭丸は私を抱き、

「ごめんね、ごめんね。」と謝り続けた。

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