第19話

その土屋君と蘭丸が、連休にマラソンの練習をするという。


「ママ、マラソンなんて一番嫌がってたじゃない?」

「そうなのよー。だから、ジジも付き合って!」

「絶対いや。」


「美々子、お願いだ。ママに付き合ってあげて。父さん心配なんだよ。

父さんが一緒に行ってもいいんだけど。」と、父が心配そうに言う。


「いや、それはいくら何でも。」

私は、父がおろおろして蘭丸についてくる姿が容易に想像できた。

土屋君の、礼儀正しさに隠した呆れ顔も。

父が気の毒になる。


「でも走るのはママより苦手なのよ、私。」

「ジジは自転車で伴走してればいいのよ。」

てことで、私は蘭丸に付き添うことになった。



初夏の気持ちのいい夕方だった。


周回コースのある大きな公園で、土屋君と待ち合わせをしていた。

私達が着くとすでに土屋君は来ていて、

ベンチの背もたれを持ってストレッチをしている。


腕を伸ばし、ストレッチをする土屋君は美しかった。

伸びやかな身体で、筋肉もあるが、まだ少年の身体つきである。


私は、好き者のおっさんのように、ジロジロ土屋君を観察した。


「待った?ごめん。」と蘭丸が近づくと、

土屋君の顔は、喜びで、ぱーっと明るくなった。なんて露骨じゃ。


にやける土屋君の横に蘭丸が立つと、

土屋君には、とっても申し訳ないし、比べる気もないのだけど、

なんていったらいいか、美の差っていうのかな?

ほんと、その差は歴然だ。


美貌の優劣ではない。

無意識と意識、とでもいおうか。


あざとさギリギリの蘭丸に勝てる美少年は、

そうそういないだろう、と改めて感じる。


「無理やり誘ってごめん」土屋君が謝った。


やっぱりなと私は思った。

蘭丸から走ろうなんて絶対言わないし、

土屋君が誘ったのはわかりきってたけど、

やっぱり「無理やり」だったんだ。


などとぼんやり考えてたら、

蘭丸がじっと土屋君を見つめてるのに気づいた。


顔に非難のかけらも表してないが、

見られてる人は責めを負わされてる気分になる目つき。


土屋君は赤い顔をして、蘭丸から目を反らし、

「走るのが苦手なのは、フォームが間違ってる、

えっと誤解してるからかな、と思ったんだ。

それに、蘭丸君は無理はできないから、

軽くジョギング程度で、ウォーキングも入れて、」と、一生懸命説明した。


蘭丸は、土屋君をじっと見てから、フッと笑って、

「ありがとう、土屋君。」と言った。


土屋君は一瞬で、有頂天を絵に描いたような顔になる。


ああもう。

蘭丸の気分に一喜一憂している土屋君が、心底気の毒になった。


「シューズを見せて」と、土屋君が言って、

蘭丸の足元にひざまずいた。


うう、このシチュエーション。

ママが一番好きなパターンだ。

男に(しかも美少年に)ひざまずかせるっていうの。


蘭丸は、薄く笑っている。

土屋君が触れてる足を蘭丸がパタパタ動かした。


「ダメだよ、蘭丸君」

土屋君が蘭丸を見上げて笑う。


私は小さくため息をついた。

長くなりそうなので、自転車のスタンドを立てた。


こうなったら、蘭丸劇場ウィズ土屋君をとくと拝見させてもらいましょうかね。



でも、見ているのは私だけじゃなかった。

美少年がふたり揃っているのを公園にいる人たちが、そろそろと気づいていった。


「うわ、何あのギリシャ神話」

「生きてる美術館だよー」

「え?あ!撮影?」などと、小声で言うのが聞こえた。


周りの静かな興奮をよそに、彼らは二人の世界を作っていた。

それを見て、周りは余計喜ぶ。


土屋君は、真剣に蘭丸と向かい合っていたが、

蘭丸は、周りの様子に気づいているに違いない。


気にも留める様子はないが、

うつむき加減の美しい横顔をきちんとギャラリーに見せている。


蘭丸の靴ひもを結び終えて、土屋君は立ち、

「じゃ、ゆっくり好きなフォームで走って見ようか。」

と蘭丸に向ってほほ笑んだ。


私は、今度は大きなため息をついて、

自転車のスタンドを下ろしてまたがった。

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