第94話

夕方になってもまだまだ暑い。

額に滲む汗をタオルで拭いながら、煙草を吸う。

流れる人混みを眺めながら、煙を吐き出す。


時折声を掛けてくる、見知らぬ女の子達。

軽やかに交わしながら、時間が来るのを待った。


待ち合わせの時間の15分前から、指定のコンビニの前で待っている。

この通りは比較的人の通りは少ないと踏んだが、思いのほかそうでもなかった。

だが、駅前の方に比べれば少ないか。


2本目の煙草に火をつけ、俯きながら吸っていた頃。


カラッコロッ、と下駄の音が此方に近付いてくる。

視界に下駄が入ってきた。

ゆっくりと視線を上に移していく。


濃い目の紺色に、白や青の芍薬が華やかに描かれている。

白い帯には、薄く模様が入っていた。

手に持っていた巾着袋には、黒地に小さな金魚があしらわれている。


綺麗に束ねて、持ち上げられた髪。

普段とは違う、大人っぽさ溢れ出ている。

すれ違う男の人達は、澪を2度見をして行く程だ。


淡色の口唇がくっと上に上がり、笑顔を見せた澪。


「お待たせ、美咲。

 久し振りだね」


持っていた煙草を、落とした事にさえ気付かない程見とれていた。

澪の言葉さえ耳に届かない程。


「…美咲?」


2度目の声で、やっと我に返った。

足元に落ちている煙草が、今しがた自分が吸っていたものと気付き、慌てて火を消すと拾い上げ灰皿へと捨てた。


「元気だった?」


微笑む顔さえ、いつもと違って見える。

些細な仕草にさえ、目が追ってしまう。


「ああ…元気、でした」


開口一番に発した言葉が、どうしてこんなに片言なのか。

戸惑いがもろに出て、上手く声すら出ない。


「なんで敬語なの?

 しかも片言だし」


駄目だ、おかしなくらい頭がくらくらする。

今なら男の気持ちが痛い程解る。

浴衣がこんなにも素敵なもので、尋常じゃない色気に圧倒されるという事を。


「この浴衣はお母さんのなんだ。

 今日の為に貸してくれたの。

 …似合ってるかな」


照れた顔で言う澪。


「似合ってる。

 凄く…凄く綺麗」


もっと気の利いた言葉が言えたらいいのに。

いや、でも、それはそれで軽くなってしまう。


「ありがとう。

 嬉しい」


澪の満面の笑顔に、また心が高鳴る美咲だった。

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