第79話

自分でも、何故こうしたのか解らない。

しかし、あのまま澪が帰ってしまうのが嫌だったのは確かな訳で。


動かない、動けない。

今、この腕を解いてしまったら…。


「澪…」


背中を向けたままの澪の名前を呼ぶ。


「ごめんね…」


持っていた鞄を下ろすと、自分の手を掴んだ美咲の手に、そっと触れた。

と、澪がこちらを向いた。

涙で赤くなった目で、まっすぐ見つめてくる。

涙で濡れた頬に優しく触れ、涙を指先で拭う。


「ごめん…。

 ごめんなさい…。

 今は優しくしないで。

 辛いから」


「なんで辛いの?」


「言えない…。

 ごめんね。

 離して…」


仕方なく言われるがまま腕の力を弱めると、鞄を拾い上げた澪は教室を後にした。

1人残された美咲は、掌を見つめたまま動けずにいた。


見えない答えを探す術もなく、泣き顔に戸惑い、もやがかかった心は痛むばかり。

このまま何処かへ行ってしまいたかった。


やり場のない気持ち。

こんな状態で、こんな気持ちで、いつまで過ごさなくてはならないのだろう。


明日は終業式。

明日が終われば、プールの日までは会えない。


暫く会わなければ、澪も落ち着くだろうか。

連絡も取らずにいた方がいいだろう。


悲しくて、寂しくて、言葉に出来ない気持ちが浮かんでは消える。

この胸の痛みこそが、きっと澪を思う気持ち。

打ち明ける事が出来たらいいのに。


もっと、もっと一緒にいたい。

同じ景色を見たい。

貪欲な程、独占したい。



その瞳に、自分だけを映してほしくて。


その口唇で、自分だけの名前を呼んでほしくて。



醜い程貪欲。

この欲望の塊を持て余す。


こんなにも君が好きだ、なんて。

夢中にさせられたまま、抜け出せない。

君はずるい。


教室を出ると家を目指す。

鳴らない携帯。

鳴らす事も出来ない。


煙草の煙に悲しみをのせ吐き出してみるが、いつまで経っても気持ちは晴れずにいた。

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