第23話
第10章
ほんの一時だったと、あとでわかったのだが、その時は、まるで何日も死闘が続いるかのように、土竜には感じられた。
土竜が着いた時、宿屋は騒音もなく静かだった。しかし、何かが起こっている気配は十分した。三人が着くのを待たず、もう崑爺は、宿屋に入って行く。すぐさま後を追った。
次の間で、色欲による、静かな争いが行われているのには見向きもせず、崑爺は奥へと向かう。
土竜たち三人が入って行くと、教主も手練れたちもさすがである。誰が敵かを瞬時に悟り、即座に内輪もめをやめ、こちらに対峙した。
手練れたちは一瞬のうちに対陣を組む。しかし、2人いないので、その対陣は不完全となった。それにまず気づいた手練れの一人が、構わず暗器を投げてきた。対陣が崩れる。他の者も気づき、次々と暗器を放ってくる。
土竜は、その混乱の中で、残忍に笑う蘭蘭の顔をはっきり見た。
蘭蘭が珉珉と土竜の前に立ち、烈風の技で、手練れが放った暗器を元の持ち主に見舞った。皆が驚く間もなく、今度は珉珉が地を這って、手練れたちの足の腱を鎖鎌で切り取っていった。手練れたちは全員、自分の投げた暗器に刺され、足の腱を切られて、床にのたうち回っていた。
「土竜、教主をねらえ!」蘭蘭が思わず、本名を叫ぶ。
その時にはすでに、土竜は、焦点を教主に定めていた。
手練れたちの向こうに、女が立っている。誰かに似ている、と一瞬感じたが、そんなことを考える間もなく、女が炎を放つ前に、土竜は冷気を集め、女に向けていた。
教主と土竜では、その技の差は歴然としていたのだが、教主が出遅れたのと、そして、自分に冷気を放った少女の顔を見て驚いたのとで、技を出せず、土竜の冷気をまともに浴びた。
ほっとして、土竜が蘭蘭と珉珉を見ると、蘭蘭が、手練れを一人ずつ、殺していた。いたぶらず、即座にとどめを刺していたので、土竜はなぜか安心した。
それでも、蘭蘭の顔に、残忍な喜びをかすかに見て取って、土竜は衝撃を受ける。次々と殺していくので、短い時間なのだが、土竜には何時間にも思えた。何時間も、蘭蘭が楽しんで人を殺すところを見ている、という感覚を持ち続けた。
珉珉がこちらに走ってくる。
「土竜、教主は?」と聞くので、土竜は、はっと我に返り、教主を見た。
教主は、まだ生きていた。壁にもたれて座り、土竜の顔を見て驚いている。
「お前は、お前たちは、三つつ子か!」教主が小さく叫んだ。
ああそうか、私の今の顔は、姉さまたちに似てるから、教主は誤解しているのだな、と土竜は思った。
「三つつ子だとしたらどうなの?」と土竜が聞くと、教主はなんと、ゆっくりと笑った。そして、
「よかった。お前たちを殺さずに済んで。」と、ほっとしたように言う。
「私の預言も外れるのね。」と、教主は目をつぶって言った。
「月の女神をいけにえにせずに済んで、この明王朝も安泰だ。」
「どういう意味だ。お前は皇帝を恨んでいるのではなかったのか。」と、珉珉が言うと、教主がうっすらと目を開けて、今度は珉珉を見た。
すると教主は嬉しそうな顔をして
「華明(カミン)お兄様!」と、珉珉に手を伸ばした。
(なぜ、師父の名を)と、土竜は思ったが、何も言わず、珉珉を見た。短髪の珉珉は、確かに師父そっくりである。
「お兄様、ご無事だったのね。宮中に連れて行かれて、私達はずっと心配してたのよ。」
意識がもうろうとしているのか、教主は歌うようにしゃべっている。
土竜も珉珉も何も言わず、教主を見ていた。土竜がふと視線をめぐらし、蘭蘭を探す。蘭蘭は手練れ全員を殺し、奥に向かう所だった。土竜を振り返ってうなずく。崑爺のところに行くのだな、と土竜は思い、蘭蘭にうなずき返した。
その間、教主はずっと珉珉を見ている。
「お兄様、私、お兄様を探すために宮中に行ったのよ。預言が出来たのが役に立ったわ。」とくすくす笑う。
「でも、お兄様はもういなかった。側近のひとりが、お兄様のお役目を教えてくれたわ。お兄様、辛かった?それとも、若いから楽しめたのかしら?」と、また笑おうとしたようだが、口の端を少し上げただけだ。
「役目とは?」と、珉珉が聞くと、教主はもう目も開けない。
「月の女神を作ったのだもの、しかも、三つつ子だなんて。お兄様、さすが、よ」と、そのまま、大きく息を二つ三つして、教主は息絶えた。
珉珉も土竜もどうしていいかわからない。もう動くことのない教主の顔をじっと見つめるだけだ。しばらくして、
「終わったのか。」と、珉珉が土竜を見た。
土竜は、珉珉を黙って見ている。ふと、珉珉の目が動き、土竜がその方を振り向くと、蘭蘭と崑爺が、こちらにゆっくり歩いてきていた。
「全て終わったよ。」と、蘭蘭が、この上もなく優しい顔で言った。
突然、土竜が、珉珉の肩にもたれて、大声で泣き出した。泣いても泣いても、涙が止まらない。珉珉は、動かず、黙って肩を貸していた。蘭蘭がそばに来て、そっと珉珉と土竜を二人一緒に抱きしめた。
珉珉が顔を上げ、昆爺を見た。
「叔父上、お弟子さんは?」と聞くと、崑爺は、
「あいつは、やっと死ぬことが出来た。」と、つぶやいた。
珉珉は、もう何も言わず、目を伏せ、蘭蘭に抱かれていた。
崑爺が宿の外に出て、鋭く指笛を拭く。誰かが来たようで、崑爺は、小声で指示を与えている。そして戻って来て、
「ここは、宿のあるじが全て始末をつけてくれる。私達は出よう。鈴鈴、姉たちに会いたいだろう。」と言うと、土竜は、はっと顔を上げた。
「行こう、鈴妹。お姉さまたちの無事を確かめよう。」と珉珉が言うと、土竜も立ち上がった。
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