第4話

玄関から、師父が大急ぎで入ってきた。

みなが口々におかえりなさい、と声を掛けるのに、珍しく、心ここにあらずというふうに、ぞんざいにうなずき返す。

「蘭蘭、珉珉、来なさい。」師父が、ふたりの娘を呼んでいると、師母も戻ってきた。

師母が、近づいてきた娘二人の手を取り、大急ぎで屋敷に連れて行く。


弟子たちは、何事かと集まってきた。

師父が弟子たちに言った。師父の声は小さくとも、内功が強いので、皆に響き渡る。

「お前たち、すまない。今日の修行はここまで。申し訳ないが、このまま終わってくれ。

大師兄。」

呼ばれて、天健が、「はい、」と進み出る。

「皆に、家に帰って各自で修行するよう、お前からも言い渡してくれ。明日は休みにする。

明後日、早朝より、集まること。」最後の言葉は、弟子全員に言った。

「はい!」と声がそろう。

天健が、皆を集めて注意している間に、一家は屋敷に入った。師父は、そっと土竜に、後で来るよう合図した。土竜はかすかにうなずく。


屋敷の食堂に、使用人たちが大急ぎでお茶の用意をした。

各自が椅子に座る。

「お父様、なにがあったの?」蘭蘭が尋ねた。

「うむ。」と師父が、重くうなずいて言った。

「城内に呼ばれ、私はいつも通りのことを行った。」


師父は、心得ている人だったので、役人たちへの付け届けは滞りない。金持ちの住む城壁内の武芸所に、貧乏人も通わせているのだ。人望だけでは、慣習を破ることはむつかしい。師父の人望も厚いが、十分な付け届けも役に立っていた。

また、師母の美貌も役立っている。師父が城内に行くときは、常に師母を伴った。役人たちは、師母のたおやかな美しさと、その家柄も承知しているので、物事がスムーズに運ぶ。

一度田舎から来た役人が、知らずに師母の美貌に目をつけ、嫌らしい言葉を吐いた。周りが慌てる前に、師母がにこやかに笑いながら、田舎役人の袖を、さっと手を動かしたその風だけで、スパッと破いた。「お見事!」と役人たちはやんやの拍手をし、田舎役人は驚き、恥じ入った。

今日も、師父と師母は、いつものように連れ立って城内に出かけたのだった。


「すると、一番懇意にしている役人が、私をそっと隅に連れて行き、耳打ちをしたのだ。」

師父が言葉を切ると、皆が師父の顔を見る。いつの間にか土竜も、おとなしい猫のようにそっと入って来ていた。師父が土竜を認めうなずいた。

「この上海のみならず、他の街々でも、双子がかどわかされていると言う。徴用ではない。れっきとしたかどわかし、誘拐だ。」

蘭蘭が息を飲む。

「ほとんどが、一卵(イチラン)であるが、二卵(ニラン)も気をつけた方がいいと。

とにかく、似てれば似てるほど、その・・。」

と、師父は言葉に詰まった。

「あなた・・。」と、師母が師父の腕に手をかける。

「お父様、隠さずに言って。」と言ったのは、珉珉だ。珍しく珉珉から声を掛けたので、師父は、珉珉を見た。

「いや、かどわかされた双子たちは、残酷な姿で発見されるそうだ。」

「殺されて?」と、蘭蘭が震え声で聞く。

師父は首をふった。

「殺されていた方がましだ。」


蘭蘭が下を向き、両手で顔をふさいだ。

「お前たちは、二卵で似ていないから、大丈夫だとは思うが、しばらくは出歩くな。この屋敷にも厳重な警備を付ける。」

師父はそううなずいてから、土竜を見た。珉珉も土竜を見ると、顔が真っ青だった。

「土竜。お前の姉さんたちも、すぐに、この屋敷に呼びなさい。彼女たちは双子ではないが、双子と皆に言われてるほど、よく似ている姉妹だ。用心に越した事はない。」


「土竜の姉さまたち、もうすぐ婚礼じゃなかった?」と、蘭蘭が顔を上げた。

土竜と珉珉がうなずく。

「すぐに連れて来なさい。腕の立つ使用人も一緒につけるわ。」師母が立ちあがった。

「私も行く!」と珉珉が言うと、

「何を聞いていたんだ、珉珉。お前は屋敷から出てはいけない!」と師父が珍しく怒鳴った。

慌てて部屋を出て行った土竜の後を、師母が追った。使用人に指示を与える声がする。


「お父様、詳しく教えて。」蘭蘭が師父に迫った。

「どんな残酷なことがあったの?」顔を覆った蘭蘭とは思えないようなセリフだが、蘭蘭にはこういう残酷好きなところがあるのよ、と珉珉は皮肉に思っていた。

師父は、ちらと二人を見た。娘たちの性格に薄々気づいていた師父は、何を言っても動じないだろうと、話を始めた。


「どうも、同じ顔をした双子の、対についてるものを左右同時に食べると、不老不死が得られるというお告げが出たそうだ。」

「お告げ?」珉珉が思わず聞く。

「皇帝にもお目通りした、と噂される例の預言者だ。」

「でも、妖(あやかし)の者だと、忌み嫌われたんじゃなかった?」蘭蘭は、そういった話に詳しい。

「都から落ちてきて、この近くで怪しいことを始めたらしい。いや、全て噂であるから、軽々しく他で言うなよ。」と、師父は、特に蘭蘭の方を見て言った。

「その預言者を祭り上げてる人たちがいるってわけ?」と賢い蘭蘭が聞くと、

「うむ。しかも、実に危険な一派だそうだ。」と、師父が言う。

「一派って、じゃ、武芸者なの?」珉珉が思わず大きな声を出すと、師父はふと小さく笑った。

「いや、武芸者ではない。流派ではなく、どちらかというと宗派だな。かといって、仏教ではないが、怪しげな宗教なのは確かだし、腕の立つ者もいるらしい。実に残酷で危険なのだ。」

「私達、似てなくてよかったわね。」と、蘭蘭が珉珉を見てにっこりした。珉珉もうなずく。

「土竜のお姉さんたち、無事だといいんだけど。」蘭蘭が、わかってるわよって感じで珉珉を見ながら言った。

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