第87話

「とまあ、勢いもあったというか、何というか。

 旅行に行く事になったから」


白い素肌に下着を纏い、無造作に床に転がっている自身の服を拾い上げ纏う。

薫が話し掛けた女性は、やや気だるそうに薫の方へ顔を向けた。


「お土産買ってこようか?」


「いらないよ、気にしないで」


そう返ってくるのは解っていたから、然程気にする事はなかった。

いつも通り淡白で、興味がないという事を示してくれる。

明確すぎるくらいだし、このくらい解りやすいと潔いものもある。


「透子さんは旅行とか行かないの?」


「結婚する前は友達とよく行ったけど、今は行かなくなった。

 友達も育児だ何だで忙しいし」


寝返りを打った彼女は、引き出しに置かれていた煙草とライターに手を伸ばす。

それらを掴むと枕を壁に立てて背もたれにし、乱れた髪を手で直しつつ、煙草を咥えて火をつけた。

部屋の中に、煙草の匂いが漂う。


彼女の名は田村透子。

薫より1つ歳上の既婚者である。

旦那は有名企業の部長だったか、何だったか。

ご多忙のようで、家にいる事は少ない。


夫婦生活が上手く言っているかどうかは、尋ねる必要はないだろう。

透子の左手の薬指で光る指輪は、何を見てきているのだろう。

例えば見る事が、知る事が出来たとしても、さりとて面白さを期待出来る筈もない。


薫と彼女が出逢ったのは、今から1年前の事だ。

友達の結婚式に呼ばれ、パンツスタイルの正装で赴いた。

お察しの通り、友達を囲んでいた人だかりは、薫へ向かうまでそう時間はかからなかった。


ゆっくり出来る筈もなく、流石に疲れた薫はその場を後にし、外に出たところで見つけた喫煙所で一休み。

壁に寄りかかりながら、のんびりと煙草を味わっていると、1人の女性がやって来た。

それが透子だった。


ブランド物の小さなバッグから、煙草を取り出し、煙草を咥えた。

が、そのままバッグの中を漁っている。

どうやらライターが見つからないらしい。


「良ければどうぞ」


自身のジッポを取り出し、彼女に差し出す。

透子は軽く会釈を、ジッポを受け取ると火をつけた。

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