第82話

いつものやり取り。

何ら変わりない事。


「お兄ちゃんが妹を心配してるって感じよね~」


「薫さん、面倒見いいなあ。

 あたしもよしよしされたい」


「美鈴ちゃんが羨ましいわあ」


皆言いたい放題だが、美鈴の耳にはそれらは届いていなかった。


あの日を境に、自分の中の何かが変わってしまったような。

明確とも言える確証はあるのかと問われれば、思い当たる節はある。


しかし、心が落ち込んでいた時に優しくされ、それが思っていたより嬉しくて染み込み、一時的に緩んだだけだと美鈴は考える。

気の迷いとはニュアンスは違うが、それに近しいものだと。


彼氏がいないから、心身ともに不安定になっているのかもしれない。

しっかり自分を支えてくれて、自分も相手を支えてあげたいと思えるような人が、何処かにいればいいのに。


そうだ、いつまでもこのままではいけない。

新しい出逢いを探しに行かなくては。

待っているだけでは、何も起こらないではないか。


そうだ、ゆいと出掛けよう。

前から海かプールに行きたいと話していたし、その話を進めてみよう。


夏はお祭りに花火大会と、大きなイベントもある。

それらを一緒に過ごす相手を探さなくては。


…薫さんは、誰かとイベントに参加したりするのだろうか。

恋人がいてもおかしくないが、どんな風にはしゃいだりするのだろう。

なかなかどうして、想像出来ないな。


この前自分にしてくれたように手を繋いだり、腕を組んだりするのかな。

あの笑顔を見せるのかな。


…うおい、ちょっと待て。

何で薫さんの事を考えてんのよ。

薫さんとは何もないし、会社の知り合いじゃない。

…知り合いよりちょっと上かもだけど。


「美鈴ちゃん」


不意に名前を呼ばれ、振り返ると先輩がニッコリ微笑んでいた。


「そろそろ仕事に戻ろうね」


「あ゛っ、すみません!!」


ふと目が合う。

その瞳が微塵も笑っていない事に気付くと、背筋に冷たいものが通る。


もしかして、さっきの頭よしよし見られてただろうか。

だとしたら、それは大変非常によろしくないのではあるまいか。


「薫ちゃんと美鈴ちゃん、本当に仲良しよね」


笑いながら、怒気を含ませた声で言われ、思わず背筋を伸ばす。

ヤバい、やっぱり見られていた。


「ぜ、全然仲良くないですよ~」


あははと笑って見せるが、先輩の顔色が変わる事はなかった。


「し、仕事に戻ります」


先輩の横を通り過ぎると、美鈴は先輩の機嫌が早く良くなる事を祈らずにはいられなかった。

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