第77話

転ぶと思った美鈴は、ギュッと目を閉じた。

が、待てども痛みはやってこない。


「…大丈夫?」


声のする方を見れば、薫の顔がそこにあった。

先程まで咥えていた煙草が見当たらない。


「リン、大丈夫?」


改めて問われた美鈴は我に返る。

そして、自分は薫の腕の中にいる事に気付く。


煙草の香りに包まれながら、薫の腕に包まれている。

瞬時に自分が薫に受け止めてもらった事を悟った。


「脚は平気?

 捻ったりしてない?」


「は、はい…」


痛みはない。

が、頭の中が忙しすぎるくらいパニックなのは明確で。


「リンは危なっかしいなあ」


それまで美鈴の肩に触れていた手が頭に触れると、優しくポンポンされた。



駄目だ。

何でよ。

どうして?


違うってば。

だから何でなの?

胸が、鼓動がドキドキしすぎて五月蝿い。



違うって、あたしときめいてなんてないってば!



誰に向けて言い訳をしているのかさえ、解らないくらいに。

心の中で何度も叫んでみるが、それらが美鈴の口から声として表れる事はなかった。


「大丈夫そうなら良かった」


頭に触れる手が優しくて。

優しすぎて。

美鈴の心をときめかすには、十分すぎて。


瞳と瞳が合う。

寂しげな瞳が、美鈴を見つめる。


「ん?どうかした?」


薫の問い掛けに、無言で頭を左右に振る。


「急に大人しくなっちゃったね。

 いつもの元気は何処にいったんさ」


笑いながら薫は美鈴から腕を解放し、体を離した。


「よし、じゃあとりあえず駅に行こう」


先に歩き出す薫の背中を、ぼんやりと見つめる。

自分は一体どうしてしまったというのか。

自問自答を繰り返してみるも、答えに辿り着く事はなかった。


何とか歩き出し、薫の少し後ろをついていく。

薫は時折ちらりと美鈴を見て、ちゃんとついてきているかどうかを確認する。


「リン、本当に大丈夫?

 気分悪くなっちゃった?

 あ、もしかして料理が合わなかった?」


「ち、違います!

 料理は美味しかったです!」


「そう?

 それならいいんだけどさ」


首を傾げながら、不思議そうな顔をするも、薫は顔を前に向け歩き出す。

美鈴は自身の胸を押さえながら、何とか歩みを止めずに踏ん張った。

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