第78話

「あ、あの、ここで大丈夫です!」


駅が近付いてくると、急に美鈴が声をあげた。


「あたしは、1人で帰れますから!」


「あれ?飲み直しがてら、お疲れさん会はしないの?」


「また今度にしましょう」


「久々にガッツリ飲みたかったんだけどなあ。

 まあでも、今からどっか店に入って飲んでも、中途半端になっちゃうか。

 じゃあ、今度この前の店で飲もうよ」


と言った薫だったが、ふとしのぶの顔が浮かんだ。

また勘違いをされたり、敵意や怒気を向けられそうな気もするが、あの店は嫌いではない。

料理も美味いし、値段もそこら辺の店より安い。


「わ、わっかりました!」


「さっきからずっと挙動不審だけど、何かあった?

 …まだ山田さんの事、消化しきれなくてつっかえてる感じ?」


「山田さんの事はすっきりしましたし、消化不良も起こしてないから大丈夫です。

 その、薫さんがいっぱい色々言ってくれましたし…」


まるで自分の事のように、彼に怒りをぶつけてくれた。

それはとても嬉しかった。


…いや、ちょっと待て。

あの時薫さん、あたしの事彼女って言ってたような…。


いやいやいやいやっ!

あれは演技っしょ!

その場を取り繕う為のもんじゃんか!

何で本気にしてるんだ、自分よ!


「…リン?」


「うえ!?

 あ、はい、何ですか!?」


「今日の事、やっぱ迷惑だった?

 色々やり過ぎちゃったし…。

 リンに引かれても仕方ないか」


「そんな事ねえです!

 …むしろ、凄く嬉しかったです」


今まで付き合ってきた人でさえ、こんな風にしてくれた事は1度もない。

こんなに親身になってくれた事も…。



今まで見てきた、

付き合ってきた人の中で、

誰よりも優しくしてくれたのは事実。



胸が苦しい。

この気持ちは何なのだろう。

まともに彼女の顔すら見れなくなっている。


…そうだ、雰囲気に酔いすぎただけだ。

彼女の優しさが居心地良くて、甘えすぎただけだ。

そう自分に言い聞かせてみるも、何だか酷く虚しくて悲しかった。


「次はもっとましな人を見つけるんだよ」


彼女の言葉に、ズキンと胸が痛むのは何故だろう。

心地良かった彼女の優しさが、急に鋭い刃物になったように感じる。

彼女は何も悪くないのに。


「じゃあ、私はそろそろ行くね。

 ちょっと寄り道してから帰るよ。

 気を付けて帰るんだよ?

 家に着いたら連絡してね。

 ほんじゃ、また会社で」

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