第75話

右手を伸ばした薫は、山田のネクタイを掴むと、自身の方へ思い切り引っ張った。

同時に、山田はバランスを崩しながら、薫の方へ引っ張られた。


「いいか、クズ虫。

 2度と美鈴の前に現れんじゃねえ。

 いや、現れないようにしてやる」


山田の耳元で、彼にしか聞こえないボリュームで。


「お前を葬る事は容易いんだよ。

 最後くらい潔く腹を決めておけ」


体を立て直すと、薫は乱暴にネクタイを離し、山田を開放する。

乱れたジャケットを直すと、美鈴の元へ戻り、先程と同じように美鈴の手を繋いだ。


「じゃあ、僕達はこれで。

 突然食事の邪魔をしてしまい、申し訳ない」


怒気を取り外した笑顔を浮かべ、山田達に声を掛ける。


「おや、お嬢さんの顔色がよろしくないな。

 しっかり介抱してあげて下さいね」


女性は俯いていた顔を上げると、真っ直ぐに山田を睨む。


「ああ、1つ言い忘れてました」


薫は山田にニコリと微笑み。


「僕の彼女に手出しすんじゃねえよ、糞が。

 泣かせた事、ぜってえに許さねえかんな」


美鈴の手を引く。


 「ああ、そうそう。

 ここの料理はどれも美味しいので、どうぞご堪能下さい。

 1番下のコースでも、十分美味しいですからご安心を。

 じゃあ、僕達は失礼します。

 どうぞ、素敵な夜をお過ごし下さい。

 リン、行こう」


山田は最早薫の声など届いていなかった。


美鈴は山田と女性、それぞれに睨みを入れ、薫と共にその場を後にした。

美鈴達が会計を済ませてすぐ、店内が騒がしくなった。


女性の大きな怒鳴り声が聞こえ、皿が割れる音がした。

スタッフ数名が山田達の席に向かったのを見てから、2人は店を出た。


「あ~あ、派手に割ったなあ」


薫はジャケットのポケットから煙草を取り出すと、口にくわえた。


「ここの店、食器にもすんごいこだわってるし、高級なメーカーのだし、小さなお皿でも軽く3万くらいするのになあ」


美鈴が目を見開く。


「まあ、いいんじゃない?

 僕達が迷惑掛けた訳じゃ…、おっと、私達が迷惑掛けた訳じゃないし」


ふっと笑った薫は、ライターで火をつけた。

煙が美鈴の鼻を掠める。


「どうせなら、動画でも撮っておけば良かったね」


薫の悪戯な笑みを見て、美鈴は笑った。

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