第67話

「じゃあ、中に入ろうか」


まだぎこちなさは取れないが、冷静を装いながら美鈴に声を掛ける薫。

短く『はい』と答える美鈴も、何処か少し落ち着かない様子だ。


店内に入り、レジにいたスタッフに薫が声を掛けると、スタッフは背筋を伸ばす。


「横山様、ようこそいらっしゃいました!

 以前とかなり雰囲気が違いますので、誰だか解らなくてっ」


「気を遣わないで大丈夫です。

 席へ案内していただけますか?」


「すぐにご案内致しますっ!」


どうやら薫はこの店に馴染みがあるようだと、美鈴が気付く。

スタッフの様子を見るに、かなり手厚い対応だ。

所謂、上客というやつだろうか。


「それではご案内致します!」


インカムでやり取りをしていたスタッフは、緊張した面持ちだ。


「リン、行こう」


薫は右腕を逆くの字に曲げると、美鈴に差し出す。

意図を理解した美鈴は、緊張しながらゆっくりと薫の腕に自身の左手を添えた。


誰が見ても、美男美女のカップルだ。

誰しもがそれまでのお喋りをやめ、美鈴達に視線を向ける。


「こちらの席をご用意しました」


窓際のテーブルに案内された。


「それでは、お料理の準備を始めます」


スタッフが去ると、美鈴は薫を見る。


「なあに?」


「薫さんって何者なんですか?

 実は億万長者か何かですか?」


美鈴の言葉に、薫はクスりと笑う。


「さて、何者だろうね」


楽しそうに笑う薫を、美鈴はじっと見る。


「ここ、常連なんですか?」


「ん~、子供の頃から来てるよ。

 誕生日とか、クリスマスとか、特別な日は大体ここに来てた」


「こんなハイレベルな高級店、しょっちゅう来れるもんじゃないです。

 薫さん、お嬢様とかですか?」


興味津々の瞳で見る美鈴に、薫は笑うばかりだ。


「さてさて、どうだろうね。

 ほら、食前酒もきた事だし、乾杯しよっか」


「何に乾杯しましょうかね」


「そうだなあ…」


グラスを手に取り、暫し考える薫。

その表情を、やや照れながら見つめる美鈴。


「素敵な夜にでいいんじゃない?」


いつもの悪戯な笑顔を浮かべた薫を見て、先程よりも落ち着く事が出来た美鈴は、ふっと笑う。

大分緊張も和らいできたようだ。


「じゃあ、それでいいです」


グラスを鳴らし、食前酒をいただく。

普段は酒には酔わない美鈴だが、今目の前にいる薫に酔いそうな自分に驚きながらも、動揺はせず平然を装う事にしたのだった。

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