第16話

別れ間際。

車から下りるのを手伝ってくれた時だった。


彼からキスをされた。

ほんの一瞬。

目蓋を閉じる暇もなかった。


「成人、おめでとう」


照れた笑みを浮かべた彼が、とても愛しくて。

幸せすぎて、泣きたくなるくらいだった。


心から思った。

彼を愛してるし、愛していきたいと。



付き合いは順調だった。

が、それとは反面に、母親の容態は芳しくなかった。


痛みに苦しむ姿を、目にする事が増えた。

食事も殆どとれず、痩せていくばかりだった。

会話も減り、ただ見守る事しか出来なかった。


力なく微笑む母親の姿が辛かった。

こんな時まで、無理して笑わなくていいのに。

母親が泣かない分、自分は果てどなく泣いた。

幼い子供のように。


そして、別れの時が訪れる。

いつものように大学に行く前に、母親に行ってきますを伝えるべく、母親の部屋へ向かった。


「お母さん、大学に行ってくるね」


いつもだったら薄目を開け、弱々しく手を振るのに。

寝ているのだろうか。


「お母さん?」


応答はない。

嫌な予感が胸を走る。


慌てて母親に駆け寄り、その手を握ってみる。

あの温もりはなく、冷たかった。


「お母さん!」


体を揺すっても反応はない。


「お母さん、起きて!」


どんなに大声で叫んでも、その目蓋が開く事はない。


「お母さん、死んじゃやだ!

 やだよ、お母さんってば!」


半狂乱に近かった。

家政婦が来て、薫の叫び声を聞きつけ、部屋に入ると状況を把握し、すぐに父親に連絡をしたようだった。


兄が帰って来て、少し後に父親が帰って来た。

兄も父親も、泣きじゃくるばかりだった。

薫は泣きながら、その光景を見ていた。



棺に入った母親は、元気だった頃の面影がなかった。

遺影の母親と見比べれば、一目瞭然だ。


火葬場に着き、いよいよ最後のお別れとなる。

棺がストレッチャーのようなものに乗せられると、火葬炉の扉が開く。

ゆっくりと棺が進んでいく。


「京子!」


父親が叫んだ。


「行かないでくれ!

 待って、行かないで!」


泣き叫ぶ父親を、兄が泣きながら必死に抑える。


「ずっと一緒だって約束したじゃないか!

 傍にいてくれるって!

 京子、行かないでくれ!」


薫も父親を抑える。

涙が止まらず、父親の顔が涙で滲む。


「京子ぉおおおっ!!」


扉は静かに閉まる。

父親が伸ばし続けた手は、棺に、母親に届く事はなかった。

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