第6話

一週間が経ち、沙耶は見違えるように元気になった。

 運動不足になるからと稀唯は沙耶を外へと出した。家の周りを散歩したり、稀唯と一緒に果物を取りにいったり、今までとは比べものにならないほど落ち着いた生活をしている。

 周囲には森が広がるばかりで稀唯の家以外はなにもない。「俺たちの住まい」稀唯は昨夜そう言った。それなのに、ここに来てからというもの稀唯以外には会っていない。

 俺たちと言うからには集落のようなものを想像していたのだが。沙耶が知らないだけで、人の目ではわからない離れた場所に仲間が住んでいるのかもしれない。

 一日一度食べられればいい方だったのに、今は一日二食も食事がもらえる。それも満腹になるまで。

 骨と皮だけだった身体はふっくらと肉付いていた。このままでは太りそうだ。そろそろ食べ頃なのではないかと聞いても稀唯は「まだ全然だめ」と言う。

「長く食べてあげるって言ったでしょ?」

 どうしてかと問うと、稀唯はそう言って沙耶に口づけてきた。

 稀唯に口づけられると、身体から一気になにかが吸い取られたような感覚がして力が入らなくなる。

 彼の食事が、沙耶の生気、唾液や体液なのだと気づくのに、そう時間はかからなかった。

「一緒に外へ行こう」

 沙耶が朝食を終えるのを待って、稀唯と外に出た。空気はひんやりとしているが、空はどこまでも澄んでいて遠くまで見渡せる。

「うん、どこへ行くの?」

「人間じゃ行けないところ」

「えっ?」

 稀唯は沙耶を軽々と抱き上げて森を走り、木の天辺まで上っていく。

「わぁ~すごい!」

「こんなので感動してくれるなんて安上がりだね」

「だって人間なんだから、しょうがないでしょ?」

「それもそうだね」

 木の天辺から見る景色は絶景だった。

(もしかして……私はあそこから来たのかな)

 そう離れていないところに街が見える。延々と森が続いているように思っていたが、案外近くにいたらしい。たまに稀唯は沙耶のための食料を買いに出かける。わざわざ遠くまで買いに行くのなら申し訳ないと思っていた。

 風を遮る木々がないからだろう。風が頬を撫でると少し肌寒く、沙耶は小さく咳き込んだ。すると、稀唯の尾がふわりと巻きついて冷えた身体を温めてくれる。

「ありがとう」

 家に戻ってから、稀唯はまた出かけていった。

 なにもすることがない。森に生っている果物でも取りにいこうか。すぐそこだし、稀唯が帰ってくる前には戻れるだろう。

 沙耶はナイフをベルトに差して家を出て、目的の木を探しあて上っていく。

 スカートは砂埃と土で汚れて、一歩足を進めるごとに額からは汗が流れ落ちる。こんな木をひょいひょい駆けるように上っていく稀唯はやはり人間ではないのだと実感した。

 肉体労働は当たり前だったから、沙耶はそこそこ体力はある方だと思っていた。それでも果物一つ取るだけで息が切れる。

(あ……ここに来てから、ほとんど働いてないからだわ)

 爪が剥がれかけ荒れた皮膚は、すっかりと傷が治っている。洗濯や掃除はするものの、あとは一日中ごろごろしているだけ。それも当然だ。

 果物を手にしていた籠に入れて木を下りると、なぜか木の下に稀唯がいた。

「稀唯? 早かったのね」

「なにしてたの?」

 底冷えするような視線に晒されて、沙耶は身体を震わせた。

 答えを間違えたら、一瞬で食い尽くされそうな目。初めて会った夜でさえ、彼はこんな冷たい目をしていなかったのに。

(怒ってる? どうして)

「暇だったから……これ、取ってたの」

「こんなの俺が取ってやるのに」

 沙耶の言葉にほっとしたように稀唯の表情が緩んだ。いつの間にか呼吸をすることさえ忘れていたのか、沙耶は肩で息をした。

「私も……一つは取れたのよ?」

「そうだね」

 薄く笑う稀唯が、消えてしまいそうなほどはかなげで。

 沙耶はいつまでも彼の表情を忘れることができなかった。

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