第5話
「ん……」
シーツが身体にまとわりつく不快感から、沙耶はゆっくりと目を開けた。おかしい。いつもの硬い木の感覚と背中の痛みがまったくない。
むしろ身体が沈み込むような心地よさがあって、まだ夢の中にいるみたいだ。
それに自分が住んでいる物置小屋とはまったく違う。ベッドはふわふわでシーツは真っ白だ。いつも沙耶が掃除をしている主人の部屋みたいだった。
「なに、夢?」
こんなにいい夢が見られるとは。
目が覚めて、自分のいた世界が変わっているなんて。
「の、ど……渇いた」
夢のなかに水なんてあるはずがなかった。だがベッドの脇を見ると水差しが置いてある。あぁ、そうだ、ここは自分が住んでいる屋根裏ではなかった。夢の中なのだ。きっと美味しい食べ物もたくさんあるのだろう。
夢の中でも喉は渇くものなのね、と感慨深く浸っていると、シーツの中で動くなにかの気配があった。そして顔に毛むくじゃらのなにかがぽすんと当たる。
「ひゃぁっ!」
沙耶がもさっとした毛むくじゃらに驚いて手で跳ね除けると、毛むくじゃらはイラついたように沙耶の腰にクルリと巻きついた。
「なに、これ?」
身体に巻きついてくるそれは引き剥がそうにも引き剥がせず、ふたたびベッドの中へと身体が沈む。
「……っ!?」
冷や汗がダラダラと顔を伝い、沙耶が腰に巻き付いた毛むくじゃらを取ろうと引っ張るが、強い力で巻きつくそれはなかなか沙耶の腰を離してくれない。
(もしかしてこれ……夢、じゃないの……?)
昨夜のことが映像で頭の中にグルグルと走馬灯のように思い起こされる。
耳が生えてて、髪が金色に近い茶色、瞳がグレーの美貌を持つ男。
「稀唯……?」
「なに?」
「……っ!」
もぞもぞとシーツを剥いで頭を出したのは、昨夜見た男の姿。なぜか耳は引っ込んでいて目の色も金色に戻っていたが、尾はそのままだ。
「喉渇いたんだっけ。水はそこね。少し待ってて」
「あ、うん」
稀唯がベッドから下りて、部屋から出ていく。
そしてしばらくすると食事をトレイに載せてやってきた。思わず、くうぅっと鳴りそうになるお腹を押さえて沙耶はシーツに丸まった。
「はい、食べて」
「え……これ、私に?」
そろそろとシーツのなかから顔を出す。
「当たり前だろ。俺たち人間の食べ物なんか食べないよ。これは君のため」
ベッドの横にある木のテーブルにトレイを載せて、稀唯はスプーンでスープをすくう。自分は食べないと言っていたのに一口含むと、沙耶に口移しでスープを注いできた。
「ん、む……ぅっ!」
ごくりと音を立ててスープを飲み込む。
味は薄かったが、ほどよく温められたスープは今まで食べたどの料理よりも美味しかった。
温かい食事を摂ったのは初めてだった。カビの生えていないパン、虫の浮いていないスープ、新鮮なフルーツまである。
「贅沢ね」
「言ったでしょ。君、痩せすぎてて食べるところがあまりないんだよ。キスで奪うだけで殺しそうになる。まるで生気を感じられないんだ。もっと元気になって。早く俺に殺させてよ」
「変なの」
沙耶がクスクスと笑い声を立てると、稀唯も穏やかな表情で微笑んだ。
不思議だ。この男は沙耶を殺そうとしているのに。まったく怖くない。この人に殺されるために、たくさん食べてもっと元気にならないと。
「あとは自分で食べてね」
「うん、ありがとう。いただきます」
「ほんとに変な女。あいつみたい」
誰のことだろう。稀唯はどこか遠くに思いを馳せて〝あいつ〟と言った。そういえば、昨夜も同じ台詞を聞いた気がする。
「君はずっとここにいてくれる?」
「あなたが食べてくれるまでは、ここにいるわ」
「そう。なら、よかった」
稀唯は安堵したように微笑んだ。
(君は……?)
──以前に誰かここからいなくなったのだろうか。
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