第35話

「今さらって……そんなの気づくわけない」


 こうして話していても信じがたい思いだ。溺愛されているとは思っていたけれど、まさか自分を好きだったなんて。


「知れてよかったな」


 亨の唇がチュッと音を立てて唇に触れる。思わず、びくりと身体を揺らしてしまうと、目の前からくつくつと笑い声が聞こえてきた。


「ようやく俺が男だとわかったか?」


 体中の血が沸き立つように熱くなる。

 こくりと喉を鳴らすと、ますます彼の笑みが深まっていく。


「あー離したくねぇな」


 亨は、咲良の唇をなぞるように指で触れた。名残惜しむように何度も。


「咲良」

「は、はい」


 自分を呼ぶ彼の声に男の欲を感じるのは気のせいだろうか。

 いつからなのか。それは本当に恋愛感情なのかと、聞きたいことは山ほどあるのに、二人きりの車内が途端に息苦しくなり、口に出せなかった。

 咲良の怯えを見て取ったのか、亨の身体が少しだけ離される。


「そんなに緊張するなよ。怖がらせたいわけじゃない。それにあいつ、俺だけが抜け駆けすると怒るし……ほら」

「え……?」


 亨が視線を向けた先には、窓のそばに立つ真に姿があった。笑ってはいるが、それがかなり不機嫌な状態の笑みだと咲良は知っている。


「真くん」


 こつんと窓が叩かれて、出てこいと顎をしゃくられる。

 亨の身体が離れていき、それをほんの少し寂しく思った自分に気づく。亨の想いを満更でもないと感じているのだろうか。


(ちょっと待って……私、亨くんのこと好きなの!? いや、好きは好きだけど! 恋愛的な意味かなんてわからないし)


 キスされただけで気持ちがこんなにもふらふらしてしまうのは、男性に免疫がなさ過ぎるせいかもしれない。


(恋愛感情ってそもそもどんな感じなんだろう……あれ? でも待って。亨くんが言う〝好き〟は恋愛感情の好きなのかな?)


 家族として大事にされてきた。咲良だって、亨のことが大好きだ。今さらか、と彼が言ったのは、咲良と同じ感情の意味なのではないだろうか。

 だとしたら唇にキスをすることの意味は。頬も口も変わらないと言っていたから、言葉通りなのかもしれない。

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