第34話

「わからないって……なにが」

「俺が……俺たちが、そういうふうに仕向けてるって気づかない? 唇にキスする理由なんて一つしかないのに」


 亨がなにを言っているのかまったくわからなかった。

 唇にキスをする理由なんて。どうして自分は口はだめだと考えたのか。当然それは、恋人にしか許されない部分だと思ったからだ。


(え、それって……)


 咲良はずっと亨と真を兄だと思ってきた。けれど、もしかしたらずっと、妹だと思われていなかったのだろうか。

 そうだとしたら、とてつもなく悲しい。それなのに、どんな形であれ亨からの愛情を本物だと感じるからか、咲良の心に不安は生まれなかった。


「本当は、いつだってお前のここにキスしたかったよ」

「ん……」


 親指で下唇の上をゆっくりとなぞられた。互いの吐く息が触れるほど顔が近づき、亨の黒髪がさらりと額を撫でる。


(また、キス、されちゃう)


 意識ごと攫われてしまいそうなほど頭の奥が陶然としてくる。

 あれだけキスをされて、今まではどうして平気でいられたのか。頬とはいえ、何度か唇に触れられたことだってあったのに。


(そうだよ……私……亨くんと、キス、したんだ。恋人がする……みたいなキス)


 咲良が亨に抱く感情は家族愛だ。それなのにどうして、キスの予感にこれほどまでに心が打ち震えるのか。


「咲良」


 ゆっくりと唇が重ねられ、啄むように、離れては触れてを繰り返す。

 亨の唇が触れるたび、コップに水が満たされていくように、胸が充足感に包まれる。

 いつか恋人ができたら、と想像したことはあったけれど、その相手が亨だとは思っていなかった。それでも、なぜかしっくりくる思いもあって、自分のそんな感情に戸惑ってしまう。


(亨くんが私を……なんて、あるわけないって思うのに)


 心の中で完全には否定しきれない。

 亨が咲良に向けてくる愛情を、これまでは家族愛だとばかり思っていたけれど、もしかしたら、それは。


「まさか……亨くん、私のこと……好きなの?」


 咲良が尋ねると、亨が呆れたような目をしてため息をついた。


「今さらか」

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