第8話

「えぇ~そんなこと言われても!」

「俺は、亨を起こす必要はないって言ったよね?」


 咲良だってわかっている。

 だから、最初はドアの前で声をかけるようにしていた。

 けれど、どれだけ叫んでもまったく起きてくれないため、仕方ないからドアを開けて、それでも起きないからベッドに近づいているのだ。


「ねぇ真くん……亨くんって耳遠いのかな?」


 もしかしたらドアの外で叫んでも聞こえないのは、病気の可能性はないだろうか。本気で不安になって真に聞くと、呆れたように目を細められた。


「それはない。咲良が心配する必要もないから」


 本当に、と聞くと、うそのない目で見つめられた。


「あぁ、だから明日から放っておいていい。遅刻したって自業自得だろ?」


 そういう真は、いつでも出勤できる態勢で、すでにネクタイまで締めている。

 亨だって二十八歳のいい大人だ。咲良がわざわざ起こしてあげるのは本人のためにもならないだろう。


(それは、そうなんだけど……遅刻したら会社に迷惑かかっちゃうし)


 それに抱き締められることにも慣れてしまったし、甘える相手は自分しかいなそうだしと考えてしまう時点で、咲良は大概にしてブラコンだ。


「でも」

「口にキスされそうになったんでしょ?」


 壁の両側に手をつかれ、真の腕の間に閉じ込められた。真の顔が近づいてきて、頬に唇が触れる。


「どこ? ここ?」

「ち、が……」


 たしかめるように頬のあらゆるところに口づけられた。ちゅっと音を立てて、唇の端に口づけられて、ぴくりと肩が震える。


「ここ、ね」


 咲良の唇の端にキスをすると、そのままぺろりと舐められる。


「なんで舐めるの! 犬じゃないんだから」

「俺、咲良の犬でもいいよ。ペットになるから亨だけじゃなくて俺のこともちゃんと構って、可愛がってくれる? 毎朝マーキングしてても、亨のせいで俺の匂いがすぐに消えそうだから」


 真の目が思いのほか真剣なところが怖い。

 犬は食事を作ってくれる人を一番の主人だと思うようだし、いつの間にか妹愛がおかしな方向に変化していたのだろうか。そうか、亨も犬になりたいのかもしれない。だから毎朝、咲良をベッドに引きずり込むのだ。

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