第90話

「あたし、一緒に飲みたいなんて一言も言ってませんが」


「つれない事を言うな。

 お前に逢えた土産に、月の光を強くしてやろう。

 ほら、綺麗だろう?」


空に浮かんでいた三日月の光が、柔らかく強くなる。

星たちは霞み、月の独壇場のようになった。


「こんな事をしたら、上が黙ってないんじゃないんですか?」


「ふん、ワタシに文句を言う奴なんておらんさ」


「相変わらずですね、月読命は」


椿の前に現れたのは月の神。

月読命(つくよみ)と呼ばれている。

夜を統べ、月を司る。


「そういうお前の方こそ、相変わらずではないか。

 嘘をついてまでして、あの人間の傍にいたいようだな」


「貴女には関係のない事です。

 あたしが何をしようと勝手ですし、人間の世界を乱すような事をしている訳でもありませんので」


「まだへそを曲げてるのか?

 いい加減、機嫌を直せよ」


「誰のせいで機嫌が悪いのか、お察しいただけたら微笑みの1つでもくれてやりますよ」


月読命は、楽し気に笑う。


「お前のそういうところも好きだ」


「それはどうも」


空になったコップに新しく酒を注ごうとした椿を見て、月読命は先程出した酒瓶を持ち、椿に差し出す。

少し悩んだ椿だったが、コップを差し出す事にした。

並々と注がれた酒を一口飲み、改めて月読命を見る。


青と白の浴衣を緩く着ていて、腰に巻いてある黒が強めの帯も緩やかで、はだけた胸元から白い肌が見える。

もっときちんと着ればいいのにと思うも、椿はそれを口にする事はしなかった。


「100年以上もご無沙汰だったのに、何でまたあたしの前に現れたんですか?」


「お前に逢いたくなったから来たまでにすぎんよ」


「もう逢ったんだから、お帰り願えますか?」


「そう棘のある言い方をするな。

 昔好き合っていた中じゃないか」


椿の片方の眉毛が、ぴくりと動く。


「遠い昔の事なんで、覚えてないですね」


「ははは、神は全ての事を記憶している生き物であろう。

 そんなつまらん嘘をつかんでいい」


「忘れていい記憶としていますよ。

 何で貴女と付き合ってしまったのか…。

 若さを呪いたいですね」


「あの頃のお前も可愛かったさ。

 今は美しいと思う」


「…褒め言葉だけは受け取っておきます」


苦くなった口の中を緩和するように、酒を口に含み、ゆっくりと飲み込んだ。

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