第86話

「急に立ち上がらないで下さいよ!」



誰かが背後から抱き付いてきた。

言葉よりも早く抱き付かれ、遅れて背中に柔らかい何かが当たる。



その声は聞き慣れた声。



「うおっ!?」



思わず声が出る。

背中の重みに、少しだけ前のめりになってしまい、慌てて踏ん張ってみる。

何とかバランスを立て直し、後ろを振り返れば。


「何で後ろから現れんだよ!?」


「そんなん蓮を驚かせる為に決まってんでしょうが!」


先程別れた椿が、悪戯顔でいて。

そんな彼女を見て、少しだけ安心したが、蓮はそれを言葉にする事はなかった。

抱き付いた椿を離すと。


「てか、挨拶はもう済んだんか?

 まだそこまで時間も経ってないけど」


「年取った神の話は長いから、適当なところで切り上げて逃げてきたんですよ。

 毎回同じ話をするから、いい加減耳タコでして」


「あ~、それはめんどいな」


くくっと軽く笑う蓮。


「それよか、蓮はどっかに行こうと思ったんですか?」


「いや、その、先にホテルに帰ろうかと思って」


「あたしを置いてくとか酷すぎません!?」


「ちゃんと連絡してから帰るつもりだったての!

 1人でいても時間持て余してたから、部屋で酒でも飲んでるかなって」


歯切れ悪く言う蓮を見て、椿はふふんっと笑う。


「つまり蓮は、あたしがいなくて寂しかったですねえ」


「ニヤニヤしながら言うのやめろ!

 つか、寂しくねえから!」


「んもう、強がっちゃって可愛いんですねえ。

 じゃあ、寂しくさせちゃったお詫びをしなきゃですね」


「そんなんいらんし、欲しくないって。

 これからどうするん?」


蓮はまたその場に座ると、煙草を取り出して吸い始める。


「花火はもう少しで終わりだった筈ですし、最後まで見ていきましょうか。

 あたし、全然見れなかったし」


「最後までいるのはいいけど、帰る時混んで大変になるだろ」


「そこはあたしにお任せあれ。

 どうにでもなりますからっ」


「あっそ」


残りのビールを飲み干し、空になった紙コップを潰した。

煙草を吸っている間、椿は花火を見ていた。

まるで、初めて花火を見た子供のような、顔をしながら。

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