第60話

椿をピアスの中に戻し、蓮は会社を出た。

朝の雨はすっかり上がり、空は気持ちがいいくらいの青空が広がっている。

きっとニュースでは、梅雨明けを告げているだろう。


会社を出て歩き始めた蓮だったが、不意に足を止めた。

日陰ではない場所で止めたので、暑さが全身に伝わる。

額や首筋が汗ばみ始めるも、汗を拭おうともせず、蓮は立ち尽くしたままだ。


気になった椿は、慌ててピアスから出てきて蓮に声を掛ける。


「蓮、どうしました?」


声を掛けるも反応がない。

熱中症だろうか。

蓮の前に立つと、蓮の額に触れてみる。


「気分が悪いんですか?

 とにかく日陰に行きましょう。

 今、近くの自販機で冷たいものを買ってきますから」


言い終えて自販機に向かおうとすると、蓮は椿の胸元にぽすんと頭を預けた。

咄嗟に蓮を受け止める椿は、そのまま背中をさする。


「大丈夫ですか?」


ハッとする。

その背中は震えていた。


「…蓮?」


何も言わないままの蓮だったが、やがて静かに口を開く。


「…ごめん、今になって怖くなってきた。

 私、やっちゃったよな…」


小さな声で囁く蓮の言葉に、しっかりと耳を傾ける椿。


「あんなに怒ったの、多分初めてかも。

 無我夢中だったし、頭に血が上り過ぎてあんまり覚えてないけど…」


いつもとは違う蓮に、椿はどう接するかを考えてみる。


「関係のない人達にも、酷い事言っちゃった。

 良くしてくれた人もいたのに。

 私、どんだけ最悪なんだろ…。

 最悪だ…」


心から悔いている事が伝わってくる。

少し痛む胸。


「蓮、貴女がした事を咎めるような人なんていませんよ。

 とんでもない犯罪行為をした訳でもなく、ただ自分の…蓮の気持ちを吐き出したまでに過ぎません。

 だから、そんなに自分を悪く言わないで下さい」


震える背中を優しくさすり続ける。

強がりという名の鎧が取れて、強張る体がほぐれていく。


「会社を辞めた事、後悔してないのでしょう?」


椿の言葉に、蓮はしっかりと頷く。


「それが答えですもん、何も悔やむ事なんてないんです。

 蓮が自分の力で、悪かった状況を打開したんですから」


穏やかな蓮の声を、目蓋を閉じて聞いていると、段々と気持ちが落ち着き始める。


「…ありがと」


「どういたしまいて」


椿は蓮の背中をトントンっと叩いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る