第10話

『意外とこの中は広くて快適なんですよ~』


聞こえる。

十字架から声が聞こえる!

驚いて、持っていた十字架をぶん投げそうになってしまったが、ギリギリのところでとどまった。


言葉にならない、出来る筈もない出来事が、目の前で起きた。

これで夢じゃないのだから、現実が何なのか解らなくなってくる。


眩暈がする頭を押さえていると、す~っと煙のようなモヤが現れたと思ったら、女性が現れた。

彼女は微笑みながら、先程と同じところに座る。


「これで信じていただけましたか?

 一応言っておきますが、これはマジックでもトリックでもないですからね」


言おうと思っていた事を、先に言われてしまった蓮は口を閉じる。


「貴女は幸せになる為に選ばれたのです。

 いきなりの出来事に驚かれていると思いますが、全て現実です」


急に真剣な表情で、話し始める女性。


「今まであたしが仕えてきた方々も、皆ご主人様(仮)と同じような反応でした。

 中には驚き過ぎて、泡を吹いて倒れる方もいらっしゃいましたが。

 まだ信じていただけないなら、何をしたら信じていただけますか?」


真剣な眼差し、真剣な声。

妙に説得力のあるそれらに、蓮も少しずつ落ち着きを取り戻す。


「…ちょっと待って。

 コーヒー飲みたい。

 あんたも飲む?」


「どうぞ、お気遣いなく」


急にしんとした部屋に、ケトルのお湯を沸かす音が響く。

沸くまでの間、蓮はもう一本煙草を吸った。

換気扇の音が、やけに大きく聞こえる。


マグカップを2つ持って戻り、1つを女性に差し出す。


「粗茶です」


女性は一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、すぐに笑みを浮かべながら受け取った。

彼女には、温かい緑茶を渡した。


「…私は別に、幸せになりたいとか思ってない」


ぽつりと言った蓮に、視線を移す女性。


「かと言って不幸になりたいとも思ってないけどさ。

 このままでいいんだよ」


言って、コーヒーを飲む蓮。


「私じゃない、他の誰かを幸せにしてあげなよ」


彼女は再び驚いた顔をする。


「…人間は己の欲に従順なのに」


「え?」


「人間とは、欲望に忠実な生き物です」


深い顔をしながら、彼女は言う。


「あたしが福の神だと信じると、面白いくらいに願いを叶えろと言ってくるのに」


彼女の顔が、少しだけ翳ったように見えた。

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