第三章〜許嫁〜
第30話
緋色は藍色に飲み込まれ、月が顔を出しかけていた。
あれから叔父上は一人にしてくれて、気持ちの整理をつける時をくれた。
逃れることは考えずに、叔父上に騙されたとでも思ってありのままに受け入れてみようとは思う。
だけどそれでもこの世界に色がつくことはないだろうけど。
薄暗くなってきたことに気づいて、これで家臣や誰かに会っても泣き腫らした顔は見られずに済むかと思ってそっと戸に手をかける。
全て叔父上に吐き出したからなのだろうか、少しだけ軽くなった心と同じように軽い音を立てて戸を開く。
すると驚いたような顔があってこっちも心底驚いた。
「…亀寿殿…」
その手は戸を開けようとしたのか、宙に浮かんでいる。
だけど姫はすぐに視線を外すと、俯いて私に小さく頭を下げた。
「…もしかしてずっと待ってくれていたのですか」
どうしてか無意識にそんなことを口走る。
「…いえ、その…。……申し訳ありません…」
どちらともつかぬ姫の答えに、自分は今何か期待したのかと己を心の中で嘲笑する。
そして小さく微笑んで首を横に振った。
「…いえ。こちらこそ申し訳ない」
しばらく何も言わず、二人夜の闇を見つめる。
…何から話せばいいのだろうか。
そんなことを考えながら、ふわりと吹いた夏の夜の風に目を細めた。
「…申し訳ありません。先程はお見苦しいものをお見せして…。気を遣わせてしまいました」
明らかに姫に気を遣われているのがわかって苦笑いする。
…情けない男だなと思う。
姫は小さく首を横に振ってくれたけど、それも気を遣ってのことなのかもしれない。
正式に家督を継げと突然言われ、明らかに動揺した甲斐性なしの男に。
そして何より…そんな男に嫁がされるこの姫が…
ただ憐れに思えた。
…まるで他人事のように。
「……嫌ではありませんか」
吐き捨てるように聞いた言葉に、姫はぱっとこちらを見る。
それに、畳み掛ける。
「…相手が私などで」
結婚の相手が、自分でいいのかと。
答えを聞くのが怖いと思ってしまったのか自分でもわからないけど、そっと目を逸らしてそう聞く。
武家の婚儀は家の存続に関わることだから、互いに己の感情なんて捨てなければいけないのはわかっている。
だけど。
この御方は宗家の、高貴な姫。
守るべき対象のこの純真な姫には、少しでも幸せを感じてほしいと思う。
…島津宗家の全ては、家督を継ぐ私が引き受けるから。
自分の夫となるのがこんな男では嫌だと姫がそういうのであれば、それは至極真っ当な答え。
だからそれを姫の父親である叔父上に言えば私達は夫婦という関係ではなくただの義姉弟として…私が叔父上の養子に入る形で家督を継ぐということで落ち着くかもしれない。
それなら、それでいい。
この優しい姫には…どうしてか心から幸せになってほしいから。
「………嬉しい……です…」
ぼんやりといろいろ考えていた頭の思考が一気に止まる。
今…なんと言った…?
思わず勢いよく姫を見ると、姫ははっと慌てて顔を伏せる。
…恥ずかしそうに。
いやそれよりも。
嬉しい、と言ったか?今…。
「……………本当…ですか?」
もう一度聞きたくて、そんな卑怯な言葉を口にする。
「…いえ…!…あの……」
そんなしどろもどろの姫に、ただ黙って答えを待つ。
少し高鳴った鼓動を、隠すかのようにただ黙って。
すると姫はただ、小さく頷いた。
「……はい」
そのはにかんだような笑顔が、この胸の奥深くを攫っていく。
言い知れぬ初めての感情と共に、安堵を覚える。
————————心から。
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