第二章 離婚への道

第3話 幸せな営みの定義

あの夜を機に心を整えた私は、まっすぐに未来を見据えた。







旦那は、といえば、さすがにあの日からおとなしくなった。

元々、性欲が強いタイプで、仲の良い頃は月のものがない時は

ほぼ毎日求められていたぐらいだ。




それを




”愛されているね”




と、言われるのは切ない。





巷では、旦那に女性として求めてもらえず、

「セックスレス」を憂いたり離婚のきっかけになったりするパターンが多いので、




求めてもらうこと=愛されていること





と、なりがちだが、違う。






「愛していること」



が、大事だ。





体が受け入れる事と、心が受け入れる事、も違う。






求められ、体が感じる事は本能としてあるので

俗にいう、「濡れる」ことは当たり前だが、

心が受け入れている時は、「濡れ」方、「感じ」方に差が出る。

何よりも、心身ともに幸せな気持ちでいっぱいになるので

その状態を、「愛されている」という事なのだと私は思っている。

※だから、性的な事で辛い目にあった場合でも、「濡れる」。

それは、快楽ではないことを男性は知ってほしい。







好きな気持ちがあったとしても、毎日は正直キツかった。(笑)

私の気持ちよさは彼には関係ないからだ。

それは、以前から。

特別上手くもなく、早打ちで、回数も少なめ。

付き合い始めは、配慮があった。

まず、私を一回は果てさせてから、自分の気持ちよさへと移って行く心配りをしていた。

付き合いが長くなっていくとそれも無くなり、彼のペースだけが優先になって行った。


彼は、私の演技を知らない。

夜の演技は最優秀主演女優賞ものなのだ。

(夜の相性がとても良くて、

女性の方がとても満足している夫婦やカップルがいるのなら

お目にかかって、話を聞きたい。)




好きという感情があった時は、演技も白熱し、納得できていたのに・・・





時間の経過は残酷で気持ちの継続はお互いの努力を要する。





そして妥協はやがて色々な事を歪めていくのだ。





夫婦の間だけでなく、男と女、男と男、女と女・・・

いずれの間柄にも、体を重ねることはとても不可欠で大事なものだと思う。

それ以上に、相手を想い愛おしむことが大切で、

その気持ちさえあれば、どんなにスケベな事でも、

どれだけ激しい事でもOKだと思っている。







常識人に思われがちなワタシ、実は自由人。

大切に愛しいつくしんで貰えたら、淫靡な事はいっぱいしたい。






残念ながら、旦那は、最優秀主演女優賞のワタシに気づくことなく、

あの日が結婚生活最後の営みとなった。

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