第90話

朝鮮出兵に従軍した7匹の猫たちは、朝鮮に連れて行くためにどこからかかき集めた猫かと俺は思っていたが、まさかヤスとミケが普通に彼の…もとい彼ら夫妻の飼い猫だったとは思わなくて。








島津家17代目当主夫妻に飼われていた、高貴な猫。








いや、というか何よりも。








何よりも、まさか…ヤスとミケが俺が取り上げた猫だとは…。








人生とは、わからないものだと思う。








あと因みに余談だが、久保の愛猫・ヤスは白地に黄色の波紋、と伝わっているから俺はただの茶トラではなく茶トラ白だと思っていたが…間違いなかった。









「猫の目は綺麗だな。…でも夜の目の方が可愛い」







久保の言葉に、耽っていた頭がはっとする。







飼い主に頭を撫でられているヤスは、気持ちよさそうにゴロゴロ言ってその胡座の中を陣取った。








「瞳孔の大きさが変わりますからね」








「どうこう…?」








その目を覗きんだ久保に、指さして見せる。






ヤスは俺の指を甘噛するがそれも可愛い。






 


「目に入る光の量を調節するんです。夜は暗いから、光をたくさん取り入れるために瞳孔が開いて、猫の目はまん丸に見えます」








「…日の明るさで変わる、ということか」







「まぁそうですね。逆に昼間は眩しいから、光があまり目に入らないように細くなってるってわけです。あ、ちなみに興奮したときとかも瞳孔は開きますよ」








本業だから、べらべら喋れる。






久保はヤスを持ち上げると顔を覗き込んだ。







「…なるほど。面白い事を聞いた。猫の目は戦で時を計るのによいかもな。うん」









久保のその言葉に、え、と思う。







まさか。







朝鮮に猫を連れて行くの…今の俺の話がきっかけ? 







綺麗な笑顔でヤスを撫で回している久保を見て、俺の心臓はバクバク動いている。







…いや絶対そうじゃん。










俺はなんだかすごいことをしたような、でも歴史に介入してしまった後ろめたさのようなものにさいなまれる。









「猫は戦でねずみも取ってくれるからいいな。な、ヤス」







ヤスとおでこを合わせてうりうりしている久保は、令和まで伝わっている通り本当に愛猫家だと思う。








「…え、陣ってねずみいるんですか?」








俺は胡座の中でうとうとしているミケを撫でながら尋ねる。






すると久保はヤスを愛でながら何でもないことのように言った。








「寺に布陣したら、ねずみはいる」

  







なるほど。






そういうことね。








「外とかじゃないんですね」







「もちろん外に陣を張ることもあるぞ」








「外なら蛇とかいそうですね…」








「蛇は…いるだろうな」








「猫って蛇食べると、蛇からお腹の中に虫もらいますからだめですよ」

 






さすがに駆虫薬まで往診バッグには入ってない。







「虫…」







「虫。寄生虫。お腹下します」







そんなくだらない会話をしていると、久保はヤスを抱いたままふ…と笑った。









「…お前まるで猫の医者のようだな」








それに俺は一瞬呆けるが、慌てて反論する。








「ちょっと待ってください。今のおかしくないですか?俺の本業ですよ」




 




久保の冗談に、俺も笑う。





まさか、俺が追いかけていた島津久保とこんな何気ない会話で笑う日が来るなんて。






数ヶ月前のただの社畜若手獣医だった俺は思っていなかったわけで。







笑いながらさらさらと頬を撫でる5月の風を感じていると。






ふと後ろから衣擦れの音がした。

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