第39話

「…それを聞いて…





—————————私もすごく嬉しかった…」





    













柔らかい笑みを浮かべるその横顔に、目を離せなくなる。








嬉し、かった…?


  




   

本当に…?








その言葉が信じられなくて、耳からすり抜けて言葉にならない。









そんな私を見た久保様は、小さく息を吐いた。


    






 


「…本当に、全て私が悪いですね。あの時はっきり言っておけばよかった。…己の馬鹿さに腹が立ちます。…そしてこの馬鹿は父譲りだと思うと…余計に腹が立つ」







 


自分に苛立ったような早口での言葉に、私は目を見開く。









「…義父上様…ですか…?」









すると久保様は小さく頷いた。









「…はい。…私の父はですね?家臣の娘を正室に上げました。政略結婚でもなんでもない。むしろ身分が低い者を正室にした。それが…私の母です」


 






「…存じております。広瀬様…」







「えぇ。所謂いわゆる…この戦乱の世に恋愛結婚です。恥ずかしくてあまり言いたくはないのですが」








月を見上げて気怠げにしている様が、いつもと違って少しだけ幼く見えた気がして。







「生まれとしては側室が精一杯。なのに正室に上げるために父は必死だったそうです。身分が上の家臣の養女としたり、それはもう。大根を洗っている所に惚れたと未だに恥ずかしげもなく私達子供の前でも言っていて」







おどけて眉をひそめた久保様に、不意に笑ってしまう。








「…それは…仲がよろしい…のでは…?」







「…良すぎるのも困ります」







久保様は私を笑わせたかったようで、小さく笑った私に少し安心したようだった。








「…子供の頃は、母に首ったけの愚かな父だと恥ずかしかった。…内緒ですよ?」







長く綺麗な人差し指を口元に持っていき、久保様は笑う。







それを見て、京で太閤殿下へ謁見の後にもこのような内緒話をしていたことを思い出す。








「…はい。内緒、ですね?」











その想い出だけで、充分。









こんな、他愛ないお話ができるだけで充分。







私は…嬉しくて。








——————————贅沢は言わない。








同じように口元に人差し指を持っていって泣きそうなのを堪え笑うと、彼はふと真面目な顔になる。








先程感じた幼さなど消え去り、憂いを含んだ表情にどきりと胸が鳴る。




 















「…どうやら…やはり愚かなのは父譲りのようです」















静かに呟いた久保様は不意に視線を外す。










「…いや私の方が…父上の何倍も愚かだな」








消え入りそうな声で小さく落とされた言葉。








「…久保様?」








思わず名を呼ぶと、顔を上げた久保様と視線が結ばる。





その強さ、目を逸らせない。







また惹かれてしまう。


 

 




どうしよう、と思うと。







私に向かって伸ばされた綺麗な手。



 





「…父とは違い…」





 



それが、頬に触れた。

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