第27話 金木犀は魔王

 紡は思いがけず半眼になって、玻璃に低い声を零す。


「やっぱり、ずっと狸寝入りしてたか。それで? 何でわざと・・・半グレに捕まったの、玻璃」

「いやあ。昔みたいに、たまにはスリルを味わいたくなってさ? 面白そーだなと思って、つい」


 紡と玻璃が背中越しに話している間にも、「おい、半殺しにしてもいい! とにかく二人共縛り上げろ!」と口々に叫んで、半グレたちが襲い掛かってくる。それを無論、紡は軽々と足技で圧倒していくが、両腕を拘束されたままの玻璃も、巧みな足技で半グレたちを伸していく。


「そんな理由だったら、瑠璃に今言ったことありのまま全部伝えるよ。そしたら玻璃、しばらく監禁されるかも」

「すとっぷ! ちゃんと言います、はい。……紡の名前、出てきたから。心配になっちゃって。でも俺、余計なことしたね。ごめん、紡」

「違う。謝るのは私の方……巻き込んで本当にごめん、玻璃」


 申し訳なさそうに声のトーンを落とした紡に、玻璃はいつものように笑って見せた。


「んじゃまあ、お互いさまってことで。とにかく今は、ここを出よう?」


 玻璃の声に、紡も小さく笑いながら頷いた。


「うん。わかった。……それにしても、玻璃が腕縛られててよかった。もし咄嗟に手を使って、玻璃がピアノ弾けなくなったりでもしたら。私一年は寝込むだろうから」

「心配するのそこー? でも、俺も雪繫さんに足技習ってて良かったと心底思ってる。今」


 二人は三十人近くの半グレを何とかギリギリで相手にしているが、いくら半グレたちを伸してもキリがなかった。縛られている玻璃の方は動きも制限されるため、体力の消費が著しく、紡の後ろで汗に濡れながら大きく息を切らしている。

 玻璃にはどうしても無理はさせたくない紡は、半グレたちを蹴飛ばしつつ、玻璃へと大きく声を張る。


「玻璃! 私のそばから離れないまま、もう動かないで! あとは私がやる!」


 紡の声に、玻璃は困ったように眉を下げて苦笑する。


「まったく、もう……! 紡は男泣かせなことばっか、言うなあ……銀木杏珠は、来ないの?」

「杏珠は……」

「この、世間知らず共があ!」


 紡が玻璃の問いに答えようとしたところで、半グレの一人が大声を上げて刃物を振りかざしてくる。紡と玻璃は咄嗟に飛び退いて、半グレたちから距離を置いた。

 刃物を持った半グレは、目を血走らせながら刃物を紡たちに向けて大声で笑う。


「はっ、ははははは! お前ら、銀木杏珠が来るのを待ってんのか? そのための時間稼ぎ? んなモン全部無駄だ! 銀木杏珠はもう、死んでるだろうからな!」


 半グレの言葉に、ピクリと紡が反応する。そんな紡の反応で機嫌をよくしたのか、半グレは歪に口角を上げて言い放った。


「銀木杏珠は、俺らの溜まり場の一つに向かったが……そこには俺らの仲間が百人近く集まってる。いくらあの怪物野郎でも、百人以上が相手じゃどうしようもねぇ。今頃、リンチにされてるだろうぜ! 腕や足の骨だけじゃ足りねぇ! 奴の指の一本一本を関節ごとに切り落としていって……死ぬほどの地獄を見て死んだはずだ!」

「あ?」


 半グレの声に被さるように、地を這うような低い声がどこからか漏れた。


 半グレが大口を開けたまま瞬きをすると——一秒足らずの刹那の間を置いて、目の前には紡の姿があった。紡はその場にいる全ての人間の肌が粟立つほどの、殺気のこもった冷たい声で、半グレを大きく目を見開いて見据える。


「今、何て言った」

「え、あ……銀木杏珠は、死んだ……」

「杏珠に、傷一つでもつけたのか? お前ら」

「あ……」


 半グレの口が開く前に、紡は凄まじい回し蹴りを半グレの頭に撃ち込んで、ゴン! と鈍い音を立てて地面に伏せさせる。地面に、血だまりがどろりと広がった。


『紡さんは、紡さんのままがいい』


 ふと、紡の脳裏にいつかの杏珠の言葉が過った。いつも杏珠が、楽しそうに奏でていたピアノの音色が鮮明に蘇った。

 その言葉と音楽を改めて嚙みしめて、紡は「ああ、そうか」と小さく呟く。紡の身も心も堅く縛っていた鎖が、ボロボロと朽ちていく感覚が紡の背中を押す。


 紡は片足を倒れた半グレの頭に置いたまま、ぎろりとその場にいる全ての半グレを見回した。半グレたちは皆怯えたように短く息を吸う。


「もう、いい。女だろうが、普通じゃなかろうが……そんなことどうでもいい。私は何を言われてもいい。どんな目に遭ってもいい。だが」


 紡の殺気によって冷え切った眼差しの奥で、金色の火花が弾け飛んだ。


「杏珠から、杏珠の音楽を奪おうとする奴は誰であろうと許さない。杏珠が音楽を楽しむためなら——私はヤクザ以下の屑にでも何でも、成ってやる」


 その時の紡は、まるで恐怖の化身のような——「魔王」のような佇まいだった。


 きみのためなら。

 もう、普通なんていらない。

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