第25話 消えた金木犀

 杏珠と別れて離れに戻った紡は畳の上に目を閉じて寝転がり、深い溜め息を吐いていた。


『あの野郎が手前ェを〝道具〟と言う理由か。……奴はガキの頃、タチの悪い九州ヤクザに飼われていてな。その時に散々金稼ぎやらヤクザの私欲の道具として奴隷以下の扱いを受けていたらしい。奴のああいう自己肯定感の低さは……それが原因かもしれない』


 つい先日、密かに次晴から聞き出した杏珠の過去についての話を思い出し、紡は顔を顰めて寝返りを打った。


(あの杏珠が、ヤクザの道具……)


 凄まじい腕っぷしで、一騎当千の如き強さを持っていても。恐怖による支配だけでなく、人柄だけで自然と他人に慕われるカリスマ性があっても。誰かの人生を変えてしまうような——天才的な音楽の素質を秘めていても。

 杏珠は自分のことを「ヤクザの道具」でしかないと、思っている。信じて疑いもしない。


(そんなこと——絶対におかしい)


 紡は己の腹の底から、沸々と焼け爛れるような熱と、重苦しい激情のようなものが渦巻いて湧き上がってくるのを感じた。


 そんな時。不意に着信音が鳴り響いた。


 紡はまた大きく息を吐きながら腕だけを伸ばすと、そばに置いていたスマホを手に取り、仰向けに寝転がったまま画面を見る。そこには玻璃の名前が写し出されていた。

 紡はスマホをタップして耳元まで持ってくる。


「はい。もしもし……」

『金守紡。ビデオ通話にした。画面を見ろ』


 聞こえてきたのは、玻璃の爽やかな声ではない。知らない男の声だった。

 紡は瞬時に跳び起きると、男の声に従って画面を見る。そこには、ガムテープで両腕を何重にも巻かれて拘束された状態で倒れている、玻璃の姿が映っていた。紡は思いがけず目を瞠る。その間にも、スマホから男の声が紡に指示を出してきた。


『こいつを殺されたくなきゃ、今すぐお前もビデオ通話に切り替えて常に姿を見せろ。勝手な行動は許さねぇ。とにかく俺の指示に従え。そんで、数秒でも黙りやがったら、そのままこの男を殺す。いいな?』


 紡は一瞬息を吞んだが、すぐに自分のスマホもビデオ通話に切り替えた。


「わかった。だから、その人に乱暴なことはしないで」


 そう言いながら、紡は密かに杏珠へと何通ものメッセージを送るが、いつもはすぐに返信がくるというのに、今に限って反応はない。紡の行動を悟ったように、男が嘲笑ってきた。


『銀木杏珠を呼びてぇようだが、無駄だぜ。あのクソ野郎は来ねぇよ。それに奴は今、事務所に居ねぇだろう? 事務所を出ていったところを俺たちも確認している』


 どうやら男は杏珠の動向を把握しているらしい。そして、「俺たち」というのと、烏藤組事務所を見張っているような言動からして、おそらく複数人——しかも、相当の人数で犯行に及んでいることを紡は短い会話の中で察した。

 紡は指示に従って、黙り込まないように短く男の声に応える。


「そう」

『組長の烏藤次晴は定例会とやらで、組員引き連れて留守中。今、烏藤組事務所は手薄だろうな。それなら、誰にも見つからず事務所の外に出られるはずだ。お前は今から三分以内に、事務所から一番近い自販機の前に来い。間に合わなかったら、お前のお友達の首は飛ぶぞ』

「わかった。今行く」


 紡は絶えずスマホに声を掛けながら立ち上がる。そこでふと、自分の手首に巻かれている、以前、杏珠からもらった金木犀の腕時計が視界に入って、目を細めた。


『おれなんぞに気ぃ許したら、絶対だめだ』


 先刻の別れ際、杏珠が最後に残していった言葉が頭に過る。


(……気は許さないよ。ヤクザには・・・・・。私はヤクザを、信じない)


 紡は内心で、先刻の杏珠へとそんな言葉をぼやくように返した。


 そして、スマホに声を掛けながら事務所の外へと出ると、指定された自販機の前まで紡は走って行く。辿り着いたそこには、一台のグレーのバンが停まっていた。


 紡の姿を確認してか、バンの中から二人のガラの悪い男たちが出てくる。すると紡は、男たちによってバンの中へと引きずり込まれた。

 バンの中に入れられると、紡の持っていたスマホを取り上げ、「銀木の方は問題ねぇだろうが、他の組員にGPSで勘付かれちゃ面倒だ」などと言って、そのまま車窓から外に向かってスマホを投げ捨てられてしまう。


 こうして紡は、おそらく半グレと思われる男たちに連れ去られてしまうのだった。

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