第23話 封じた才を掬い上げるは極道

 三人は、待ち合わせ場所であったカフェに戻ってきていた。


 しかし、どこか居心地の悪そうな紡が「ちょっと、頭冷やしてくる」と言って、たった今手洗いに行ってしまったので、テラス席には杏珠と瑠璃の二人きりであった。


「あの子、強いでしょ」


 不意に瑠璃が、杏珠に声を掛けてきた。「あの子」とは、紡のことだろう。杏珠は瑠璃の言葉に首肯した。


「はい。前々から感じてましたが相当、お強いです」

「銀木さんから見ても、やっぱりそう思いますか。あの子……紡は、子どもん時から、腕っぷしが人並み外れて強かったんです」


 瑠璃はどこか懐かしむように、目を伏せる。


「私や玻璃……弟は小さい頃、いじめっ子に目をつけられやすくて。私たちがいじめられる度、紡がいじめっ子たちと盛大な喧嘩をしてました。紡は自分が倒れても、相手が倒れるまで立ち上がるような子で……本当に、喧嘩の絶えない子だったんです。そこで、紡の喧嘩癖を直すために、紡のお祖父じいさんの雪繫さんが、紡に音楽を教えはったんですよね。喧嘩やなくて、音楽に夢中になってくれるようにって」

「!」


 杏珠は思いがけず、目を丸くした。

 そばに居れば痛いほどわかるくらいに、あんなにも音楽が好きな紡。そんな紡が音楽を始めたきっかけが、まさか喧嘩癖を治すためだったとは。思いもよらなかったのだ。


「ねえ、銀木さん。私もうすぐ、日本をしばらく出るんです。ヴァイオリンの師匠のところに、行かなきゃいけなくて」


 瑠璃が真っ直ぐに杏珠を見据える。その強い視線を、臆することなく杏珠は見返した。


「だから、私がおらん間。紡のこと、どうかお願いします。紡が恐ろしいと思っても、紡がどんな人間でも……私の大好きな紡。守ってください」

「……紡さんがどんな人だろうが、おれには関係ありません」


 杏珠は一つ瞬きをして、淡々とした声で頷いた。


「紡さんは、紡さんでしかない。なのでおれは、許されている限り。紡さんのそばに居ます」

「……銀木さん。頑固そうやなあ」


 瑠璃は空を仰いで、小さく笑った。


「紡と。よう似とる」

「……似てませんよ」


 瑠璃が呟いた言葉は、奇しくもかつて弟の玻璃が杏珠に指摘した言葉と同じものだったが——何故だか、以前と違って。杏珠はその言葉を即座に否定することが出来なかった。


◇◇◇


 夕暮れ時。瑠璃に作曲のアドバイスを存分にもらい、瑠璃と別れた紡と杏珠は、帰路についていた。

 互いに沈黙を守っていた二人だが、紡の方から杏珠へと声を掛けた。


「私、ひとのこと言えないと思ったでしょう。ヤクザが嫌い、とか」

「……というと?」


 神妙な声で尋ねてくる杏珠。夕焼けを背にして、顔だけ振り返った紡は、眉を下げて力なく笑った。


「昼間の乱闘見て、わかったでしょう? だって私、喧嘩やめられないんだ。必要以上に、暴力をふるって……しかもたぶん、それを心のどこかで楽しんでる」


 その場に立ち止まって、紡は血が滲むほどに唇を嚙んだ。


「私は、こんな私が嫌いで堪らない。じいちゃんにも言われてたんだ。『お前が男だったら、ヤクザになってたかもしれない』って。じいちゃんにも、瑠璃にも迷惑かけても、未だにやめられない……〝普通〟に成れない私って、本当に屑なんだなって。思う。私も、ヤクザと同じだ」

「それは違う」


 無意識に俯いていた紡は、杏珠の否定の声で顔を上げる。


「紡さんは、ヤクザとは違うでしょ。絶対」


 いつの間にか、杏珠は紡の少し前を行っていて、坂の上から夕焼けを静かに眺めていた。


「確かに紡さんには、暴力の才能・・・・・がある。だけど、それだけです。その暴力の才で無意味に誰かを貶めようとしたり、汚い金儲けをしようとしたり、法を犯そうとしたことはなかでしょう」


 坂の上から、燃える空を背に杏珠が紡を振り返る。


「あなたは、その才を誰かを護るためだけに行使しとる。実際今日も、それで銅本さんが救われた。それは、紡さんにしかできん事だと思います。ヤクザは、そんなことせん。ヤクザが言ってるので、間違いなかですよ」


 杏珠が微かに片方の口角だけを上げて、妖しく笑ったような気がした。


「それに、法を犯してなければいいんです。紡さんの場合は正当防衛ですから。あと、他人の言う〝普通〟とか何とか、そういうのもどうでもよか。そんなんじゃ、人間つまらんけん」


 目を大きく見開く紡に、杏珠が赤に照らされた碧眼を細めながら強く断言した。


「紡さんは、紡さんのままがいい」


 紡は思わず、目元を片手で覆って、大きく息を吐き出した。腹の底から喉まで、何か熱いものが込み上げてくるのを、必死になって耐える。


(ずっと、その言葉が欲しかったのかもしれない……それをくれるのが、ヤクザだなんて。じいちゃん、怒るだろうな)


 そして、ふっと噴き出すように笑い声を漏らすと、長い黒髪を掻き上げながら、杏珠のもとまで歩いて行く。


「それ、ヤクザ流の激励?」

「かもしれません。ついでに、これ受け取ってください。紡さん」

「? これ……」


 杏珠の隣に来た紡は、杏珠から細長い箱を手渡される。「中身、見てもいい?」と尋ねると杏珠が軽く頷いたので、紡は箱を開けて中身を見ると目を瞠った。


「……腕時計。奇麗だ」


 それは、全体がシルバー色のシンプルなデザインの腕時計だった。ベルトは樹木の皮の色のような黄色味がかった明るい茶色で、秒針が金木犀のようなゴールド色をしている。


「金木犀から着想を得てデザインされた腕時計だとか。ヤクザ流の激励です」


 杏珠の返しにまた声を出して笑うと、紡はさっそく腕時計を手首に着けて見せて、吹っ切れたような顔をして大きく頷いた。


「……時計も激励も、ありがとう。杏珠。結構、元気出た」

「それなら、よかったです」

「だけどさっき言ってた、法を犯さなければって……それでも、やって良いことと悪いことがあるでしょう。倫理観大事。やっぱりヤクザは屑だな……この時計も、大丈夫なヤツだよね? ちょっと怖いんだけど」

「ヤクザに倫理も良識もありませんから。時計についてはご想像にお任せします」

「え。まさか本当に強盗とかやって……!?」

「せんわ」


 二人はそんなとりとめもない話をしながら、再び燃える空の下。ヤクザの事務所への帰路につくのであった。

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