第15話 金木犀と極道の逃避行
紡は小走りで、早歩きで前を歩く杏珠の背中を追っていた。
杏珠の車が停めてある駐車場までには、少し距離がある。紡は黙ったままひたすら前を歩く杏珠に、声を張って尋ねた。
「で。何があったの、杏珠」
紡の問いに、杏珠は即答する。
「外に出とる組の連中から連絡入りました。紡さん狙っとる半グレが、ジュピターの方に集まってきとったらしいです。見つかって面倒事になる前に、紡さんは事務所に帰らんと」
「そう……わかった」
「……」
また二人の間に沈黙が落ちた。
そんな中でも紡は意を決して、先刻からずっと気になっていたことを再び杏珠に尋ねる。
「ジュピターで、杏珠が披露した曲。あの曲、何て言うの?」
杏珠は一つ間を置いて答えた。
「テキトーに、おれがその場しのぎで考えついたもんです。なので、名前とかそういうのはありません」
ああ、やっぱり。と、紡は己の推測が当たっていたことに微かに興奮を覚えて、小さく息を吐く。杏珠がジュピターで披露した曲は、杏珠自身が即興で作曲したものだったのだ。
(耳に入っただけで。あんなにも心を揺さぶってくる音楽を、即興で作るなんて……やっぱり杏珠は、瑠璃や玻璃たちにも並ぶことができる。天才だ)
紡はもっと、杏珠の音楽を知りたいと思った。
「音楽、好きなんだ?」
「すき、というか。音を鳴らすことは、おれの金稼ぎの手段の一つでした」
「音を鳴らすこと……? 金稼ぎの手段、って」
杏珠の答えに、紡は目を瞠る。まるで、その言いようだと。杏珠は「音楽」というものの概念すら知らないようにも思えたからだ。
「音楽」を知らずして、あんなにも精巧で豊かな「音楽の世界」を創造できる杏珠。そのあまりにものちぐはぐさに、紡は密かに小さく息を吞む。
「……」
不意に、杏珠がその場で立ち止まった。考え込んでいた紡は突然立ち止まった杏珠の背中にぶつかりそうになって、慌てて杏珠を避けてその隣に並ぶ。
「杏珠? どうかした?」
首を傾げて杏珠を見上げる紡の腕を掴んで引き寄せると、杏珠は低い声で言った。
「紡さん。おれから離れんで」
杏珠の低い声と同時に、紡たちの左後ろにある路地から半グレたちが溢れ出てきた。
それにすぐ紡も気が付くが、そんな紡の前に杏珠が出る。数は五人。だが、おそらくこれから更に数は増えていくだろう。
半グレたちはそれぞれ、バットやらナイフを得物として持って、紡たちへと襲い掛かって来た。
一人目と二人目。同時にバット振り上げてきた半グレ共を、杏珠は巧みに躱していく。二人が滅茶苦茶にバットを振り回してる中、杏珠は地を這うようにすとんと身体を落として、二人の足元を蹴りで払う。すると、二人揃って体勢を崩し、滅茶苦茶に振り回していたバットは半グレ二人の互いの顔にぶち当たって、自滅した。
三人目と四人目。まず勢いよくタックルしてきた三人目の背中を転がるように躱し、杏珠は四人目の顔面へと強烈な肘の攻撃を打ちこむ。痛みで苦悶する四人目の鳩尾へ、更に膝蹴りと拳を数発打ち込んで追撃すると、そのまま四人目は倒れ込もうとする。
後ろから迫って来ていた三人目に、力の抜けた四人目の身体を投げつけると、杏珠は怯んだ三人目の間近に急接近し、顎を揺らすように横から拳を叩き入れた。半グレたちは折り重なるように、その場に倒れ込んだ。
そして、最後の五人目。五人目は、他の四人が倒されたことに焦った様子で、雄叫びを上げながら、ナイフを持って襲い掛かって来た。
いたって冷静な杏珠は、ナイフを突き出してきた半グレの腕を取り、半グレの突っ込んできた勢いをそのまま利用して背負い投げると、地面に強く叩きつけた。無防備となった半グレの鳩尾を鋭く踏みつけてやれば、半グレは白目を剥いて呻く。
こうして杏珠はいとも容易く、五人の半グレたちを伸して見せた。
しかし、死角となった路地から新たに六人目の半グレが現れ、杏珠へと向かってバットを振りかざす。死角になっていたにもかかわらず、逸早く六人目の気配を察知した杏珠は咄嗟に、片腕でバットを受け止めようとした。
「!」
杏珠が思いがけずといったように、目を丸くする。何故なら、杏珠が受け止めるはずだったバットは既に宙に吹っ飛び、六人目の半グレのこめかみには的確に、紡の回し蹴りが直撃していたからだ。
ゴウと風を鳴らして、紡の蹴りが回り切ると、半グレは勢いよく吹っ飛んで近くの建物の壁へと激突し、ピクリとも動かなくなった。
いつもの無表情を珍しく崩し、ひどく驚いたような、何か言いたげな顔で紡を凝視する杏珠。だが、紡はそんな杏珠へとすぐに声を張った。
「話は後! とりあえず、車まで早く」
紡の言葉が終わり切る前に、路地からまた二人の半グレが現れた。
「! 紡さん、下がって」
杏珠のそんな声掛けも、もはや不要だった。
紡は既に、突如現れた二人の半グレたちに、強烈な蹴り技を数撃食らわせており、手を一切使うことなく半グレたちを伸して見せた。
「こんなの、いつまで相手しててもキリがない。車まで走ろう、杏珠」
「……はい。行きましょう」
こうして二人は、新たな半グレたちに見つかる前に、杏珠の車が停めてある駐車場へと走った。
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