第12話 金色硝子の本性
「お耳汚し、失礼しました」
戻ってきた杏珠はそう言いながら、平然とした顔で紡の隣に座る。
紡は咄嗟に杏珠へと声を掛けようとするが、それは別の声に遮られた。
「紡!」
「え……
「げ」
紡は聞き覚えしかないその声に振り返り、玻璃は些か苦々しげな声を漏らす。
紡を呼んだ声がした先には、一人の女性が息を切らして立っていた。
玻璃と同じ、明るい金色に染め上げられた背中まで届く長髪に、タイトスカートを着こなした派手な外見。しかし、目鼻立ちのはっきりとした、まごうことなき苛烈な美しさを迸らせるその女性は、ヒールを鳴らしてツカツカ歩いてくるなり、紡の首元へと抱き着いた。
「紡! ああ、もう。やっと会えた……!」
「私も会いたかったよ、瑠璃!」
彼女の名は、
瑠璃は紡の首元から離れると、両手を合わせて勢いよく頭を下げた。
「本っ当にごめん! 紡! 私から会おうって誘っておいたくせに、来るの遅れて……!」
「いやいや、全然大丈夫! むしろこちらこそ、誘ってくれてありがとう、瑠璃。それより仕事、忙しかったんでしょ? 本当にお疲れ様」
紡は瑠璃の両手を取って、顔を上げるように促す。瑠璃は紡の手をぶんぶんと振って、小さく笑みを見せた。
「ああ~紡! あんたいい子過ぎるでしょう……本当にありがとうな? つっても、ここに遅れたのも私の化粧が崩れたのも全部。私のスマホを盗み見した上に、余計な仕事押し付けてきやがったドアホのクソ野郎のせいやけどな……なあ? 玻璃」
しかし、みるみるうちに瑠璃の美しい顔は鬼のような形相へと変貌して、玻璃へと向けられる。それでも玻璃は、どこ吹く風といったように、瑠璃へと笑顔で手を振って見せた。
「だって瑠璃だけ紡に会おうなんてズルいじゃん。つーか瑠璃、来るの遅くない? もーちょい早く来てれば、すげぇ面白いもん見れたのに。相変わらず運がねぇのな」
「こんの、クソボケ! お前、誰のせいでこうなったと思っとるんじゃ!? 後でぼっこぼこにしたるからなあ? 覚悟しとけよ、クズ野郎が……」
「やだ。お姉ちゃん、こわい」
「気色悪い呼び方すんなや! ドアホ!」
凄まじい姉弟のやり取りに、紡は「いつものことか」と呟きながら苦笑を漏らす。
「ったく、ほんまふざけよって……ん? あれ、紡。もしかして、そこの人は……?」
ふと、瑠璃が紡の隣に座る杏珠へとようやく気付いたようで、紡と杏珠の二人を見比べる。
紡は「あ」と声を漏らして杏珠を見やると、杏珠はすぐに瑠璃へと小さく会釈した。
「初めまして、銅本さん。おれは銀木杏珠といいます。既に聞いておられると思いますが、紡さんの親類の者です。今日は無理にお邪魔してしまって、すみません」
「あ、やっぱり! あなたが、紡の引っ越し先の!? ……いつも紡さんにはお世話になってます。紡の親友の銅本瑠璃です。いえいえ、私としてはお会いできて嬉しいです。来てくださってありがとうございます」
瑠璃も頭を下げて、笑顔で杏珠に自己紹介をする。
しかし、瑠璃は美しい笑顔を崩さぬまま、紡の腕を取って微かに眉を下げて見せた。
「それで、来て早々申し訳ないんだけど。実は紡と二人きりで話したいことがあるんです。なので、ちょっと失礼してもいいですか?」
「……」
瑠璃の申し出に、杏珠は無言で瑠璃を見据える。それを見かねた紡が、すかさず口を挟んだ。
「外でちょっと話して、すぐここに戻るから。いい?」
「……勿論。ゆっくりで大丈夫ですよ」
一つ間をおいて、杏珠は首を縦に振った。それに紡は何となく安堵の息を吐く。
「うん。じゃ、行こうか。瑠璃」
「そうね。じゃあ、ちょっと行ってきます。……おい、玻璃。あんた銀木さんに失礼なこと言いよったりしたら、承知せぇへんで」
「はいはい。わかってるって」
ドスの効いた瑠璃の声に、玻璃は変わらずの笑顔のままひらひらと手を振って見せる。
こうして紡は、杏珠と玻璃の二人を残して、瑠璃と共にジュピターの外に出るのであった。
◇◇◇
紡が出ていってしばらく。杏珠は絶え間なく、テーブルの下で手に持つスマホの画面を見つめ続けていた。そんな、一切話す気もない杏珠を、向かい側に座る玻璃は飽きもせずに楽しそうに見ていた。
だが、ついに玻璃がテーブルに頬杖をつきながら、沈黙し続けている杏珠へと話し掛けてきた。
「な。アンちゃんは紡が〝金木犀〟だってこと、知ってんの?」
杏珠は一瞬だけ玻璃を一瞥するが、すぐにスマホへと視線を戻して短く答える。
「一応」
「金木犀の歌、聴いたことある?」
「ないです」
「ふーん? 歌、興味ないんだ」
「まあ、あまり」
杏珠のそっけない答えに、玻璃は笑いながら目を伏せる。
もう終わったかと、杏珠がスマホ画面から視線を外さぬまま小さく息を吐くが、そんな杏珠の期待も虚しく、玻璃はひとりで喋り始めた。
「歌、聴いてみてよ。金木犀の……紡の歌は、世界に羽ばたいていかないといけない歌なんだ。俺、金木犀の大ファン」
玻璃がじっと杏珠を見据えて、相変わらずの明るい声で首を傾げる。
「だから正直、アンちゃんみたいな
杏珠のスマホをタップする指が止まった。杏珠は視線だけを動かして、にこやかな笑みを浮かべている玻璃をようやく見る。
「おれは、紡さんの親類です」
「嘘。俺にはわかるよ? だってアンちゃんの手、暴力が上手いヒトの手だ。そういうヒトの手、見たことあるからね」
「……」
杏珠はじっと、玻璃の人好きする笑みの貼りついた顔を観察する。しかし、すぐに小さく息を吐くと、口の前で両手を組んで、玻璃の方へと顔を寄せた。
「お前がどこまで知っとろうが、どうでもよか。やけどな、いちいち詮索しようとすんな、ガキ。鬱陶しい。これ以上足突っ込んできて、死んでも知らんぞ」
「ご忠告どうも。……にしても、ふふ。ヤクザのくせに、噓吐くの下手くそだな? あと、紡の前では猫被ってんだ?」
「せからしい。死にてぇか。クソガキ」
「やだ。死にたくない」
紡がいないからと、つい口調が悪くなってしまう杏珠であったが、玻璃は気にした風もなく楽しそうに笑った。
「アンちゃんはさ。紡のこと好き?」
「……?」
玻璃の意味不明な問いに、杏珠は眉を顰める。
構わず玻璃は目を細めて、呟くように語った。
「俺は好き。いつか世界に立つ金木犀の……紡の隣で、ピアノ弾くんだ。紡と一緒に、最高の音楽を、ずっと楽しみたいんだ」
玻璃が、笑みを浮かべていた口元を片手で覆い隠す。そして、ぞっとするほど冷めた目で杏珠を睨み据えた。
「そういうことなんで。もし、紡に何かあったり、何かしでかしでもしたら」
玻璃の常に明るかったはずの爽やかな声が、絶対零度の冷たさを錯覚するような低音で、鋭く宣告してきた。
「ヤクザだろうが何だろうが、ぶち殺したるからな? 覚悟しときぃや、
杏珠は思いがけず驚いて、目を丸くした。
久しく遭ったからだ。こんなにも、「本物の殺意」を持ち得る堅気の人間を。
「ま、何もないうちは仲良くしようぜ? 俺、アンちゃんみたいな面白いヤツ、結構好きなんだ」
打って変わって、玻璃は両手を軽く掲げて見せるとまたけろりと笑う。
そこからの玻璃は再び、掴みどころのない軽薄な男のような顔をして、終始面白可笑しそうに笑い、ひとりでに喋り続けていた。
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