第8話 金木犀は木星へ

 翌日の夕方。紡は身支度を整えてそそくさと離れを出ようとする。


「紡さん。どちらへ?」

「……」


 すると、紡の想定通り、どこからともなく杏珠が幽霊の如く現れた。

 紡は素早く杏珠の方を振り向くと、声を張って宣言した。


「ジュピターに行く。杏珠もとうに調べて知ってると思うけど、私のバイト先ね。昨日電話した友達と会う約束してるんだ」

「それならおれもお供します」


 杏珠の即答。それも紡の想定通りだった。紡は小さく鼻から息を漏らし、杏珠に頷いて見せる。


「わかってる。それが杏珠の今の仕事だろうから。で、どこまでついてくる予定?」

「ご友人の横まで」

「え。そんなところまで!? ……杏珠のこと、友達に言ってないんだけど。何ていえばいいの」

「紡さんが好きなように」

「丸投げ……」


 紡は軽く頭を抱えながら、半眼で杏珠を見上げる。


「杏珠。自分から『ヤクザです』って名乗ったりしないでよ。絶対」

「するわけないです、そんなこと。紡さんじゃあるまいし」

「……私が間抜けと言いたい?」


 こうして、昨夜から多少言い合いができるようになった二人は、紡のバイト先であるバー「ジュピター」へと向かうのだった。


◇◇◇


 カランとドアベルを鳴らして、紡と杏珠はバー「ジュピター」へと入る。

 まだ開店したばかりであるはずだが、既に店内の席は満席に近かった。

 ふと、カウンターにいたマスターが紡の姿を見つけるなり、こちらに駆け寄ってくる。紡もマスターのもとへと向かった。


「金守ちゃん! よかった、元気そうで!」

「こんばんは、マスター。すみません、連日休んじゃって……」


 紡が頭を下げると、マスターはにこやかに笑って両手を胸の前で振って見せる。


「そんなこといいんだって! だって、急な引っ越しだったんでしょう? 仕方がないさ。うちに来るのは、そっちが落ち着いてからでいいからね」

「マスター……! 本当に、ありがとうございます!」

「いいの、いいの! それよりほら、金守ちゃんの友達さん。あそこの席で開店からずっと待ってるよ。早く行ってあげて!」

「はい。それじゃ、また後で。マスター」


 紡が少し離れた場所にいた杏珠に目配せを送ると、それを受けた杏珠が早足でこちらに歩いてくる。そして再び合流した二人は、マスターが手で指し示していた席へと向かった。


「ごめん、瑠璃るり! 待たせたね……って。え」


 紡は隅の席に座っていた、明るい金髪の人物に声を掛ける。しかし、その人物が振り向いた瞬間、思いがけず驚きの声を上げた。


「やほ。紡——と、そちらが飛び入りのヒト?」


 こちらを振り向いたのは、明るい金色に染め上げた長髪をハーフアップにし、両耳にはいくつものピアスを開けた——杏珠に劣らないほど、端整な顔立ちをした若い男。

 男は耳に心地いい、爽やかな低音の声に、人好きのするにこやかな笑みをたたえている。その男と目が合った杏珠は小さく会釈し、一方の紡は目を剝いて男の肩を掴んだ。


「ちょっ……玻璃はり!? 何で、玻璃はりの方がここに!?」

「まあまあ、紡。とりあえず、座ろ?」

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