第5話 極道の提案

(ちち、おや……? うそ。まさか、そんな……!)


 死んだ祖父雪繫が言うには、祖父の娘である紡の母は事故死し、ろくでもない父の行方は知らない。死んだものと思え。そう言い続けられて、育った。

 紡はもう一度、次晴の猛禽のような鋭い目を見る。一瞬、どこか翳りのある表情が見えた気がしたが、すぐに次晴は真っ直ぐな眼差しで、紡を見返してきた。


「金守紡さん。私は血縁上、あなたの実の父親にあたる男だ。今まで黙っていてすまない」


 噓を言っているような顔には、到底見えなかった。

 それに、次晴の猛禽のような目は、他人に「目つきが悪い」と言われ続けてきた紡の鋭い目つきともよく似ている気がする。


「そんな……信じ、られません……!」


 それでも紡は、現実から逃げるように、次晴から目を逸らして首を横に振った。


「無理もないだろう。証拠と確実に言えるようなものはないが……今の私に遺されたものは、君自身とこの写真しかない」


 次晴が懐から一枚の写真を取り出し、目の前のテーブルに置いて、紡の前へと差し出して見せる。その写真には、祖父雪繫が持っていたアルバムにも写っていた紡の母と、若かりし頃の次晴の二人が、一人の赤ん坊を抱えて幸せそうに寄り添っている姿が写っていた。

 いよいよ紡は、唐突に突きつけられた現実と真実を、受け入れる他なかった。


「君の母親が亡くなってからは、雪繫さんからの強い要望もあって、君から距離を置くようにしていた。当然のことだ。仕事柄、人一倍ヤクザを知っていた雪繫さんは、愛娘も孫も、ヤクザなんぞと決してかかわらせたくはなかっただろう。私は、君に一切かかわらない代わりに、養育費だけは出させてほしいという約束を雪繫さんと交わしていた……雪繫さんは、ヤクザの金などいらないとひどく頑なで、説得するのに時間はかかったが」


 次晴の言葉に、紡ははっと息を呑んだ。


(じいちゃんが、ずっと頑なに『ヤクザと関わるな。心を許すな』って私に言い続けていたのも……私の父親が、ヤクザだから? 私が、ヤクザの実の娘だから……そっか。そうだったんだ)


 きっと祖父雪繫は、紡のことを心底心配して、あの言葉を口癖となるまで言い続けていたのだろう。いよいよ、自分が次晴の実の娘だということに確信が出てきて、紡は細く長い息を吐き出し、次晴に頷いて見せた。


「……わかりました。あなたが仰ることを、信じます」

「ありがとう。心から感謝する——そして、今更ながら、私が雪繁さんとの約束を破って君に接触してきた理由だが。こちらが本題だ」


 次晴は一度目を伏せて、小さく息を吐くと、再び語り始めた。


「私と君の親子関係は、信頼できる極限られた者しか知らない。はずだったんだが……それを知る者が密かにいたようでな。それはどうやら、金守家の人間らしく……君の母親の従妹いとこにあたる女がそうだった。その女はヤクザと繋がりがあるようで、何を血迷ったか裏社会のあちこちでこう言いふらし始めた——烏藤組組長、烏藤次晴には命に代えても惜しい、実の娘がいると。その娘の名が金守紡」

「え……! ということは、それって。私と烏藤さんの関係だけじゃなく、私の名前まで……!?」


 驚愕して声を上げた紡に、次晴が険しい表情で頷く。


「ああ。烏藤組組長の娘として、君の名が裏社会に知れ渡りつつある。それはつまり……うちの組をよく思ってないクソ野郎共が真っ先に狙う標的が、君になってしまった。ということだ」


 紡は驚きのあまり、口を半開きにして目を瞬かせ、次晴は溜め息を吐きながら軽く頭を抱えた。


「しかも、うちのモンの調べによると……どこぞの闇サイトでは君に懸賞金がかかっているそうだ。相当の額らしい。こうなると、ヤクザより金目当ての半グレ共の方が厄介だ」

「け、懸賞金……」


 紡はまたもや、信じられないと小さく口の中で呟き、片手で眉間を押さえる。そして、ようやく納得がいった。先刻、紡の自宅にまで押し入ってきたあの男たちは、次晴のいう、裏社会の人間だったのだ。


(私って……一生、こんな感じなのか。〝普通〟になるの、無理なのかな……)


「普通ではない」と他人に馬鹿にされ、蔑まれ続けてきた人生。「普通ではない」ことがいけないことなのであれば、「普通」になろうと、紡は自分なりに努力してきたつもりだ。しかし、今回ばかりは、どうしようもない。唯一の頼りであった祖父、雪繫も、もうどこにもいないのだ。


 紡は頭の中でぐるぐると濁流のように渦巻く思考を何とか抑えようとする。そんな時、紡のぐちゃぐちゃになった感情を宥めるように、次晴の老いてもなお、よく通る低い声が掛けられた。


「頼りの雪繫さんも昨年亡くなってしまい、今の君は一人。このままでは危険極まりないうえ、最悪命の危険もある……そこで、我々から一つ提案をさせて欲しい」

「提案……?」


 俯いていた顔を上げて、紡は次晴に目を向ける。次晴は猛禽のような目をしばし漂わせた後、意を決したようにこう告げた。


「しばらくの間、ほとぼりが冷めるまで。君のことを、我々烏藤組が匿わせてはくれないだろうか」


 予想だにしなかった次晴の言葉に、紡は大きく目を瞠る。


「この問題はうちの組にも因縁をつけられたようなもんだ。組の面子に関わってくる。私は組長として……こう言うのも烏滸がましいだろうが。君の父親として。何としても片をつける。君の日常を取り戻す。……それまで、君を守らせてはくれないだろうか」


 次晴は、紡へと深く頭を下げて見せた。ヤクザの組長が頭を下げていいことなど、そうそうない。紡は大きく息を吞んで、唇を嚙んだ。内心で祖父雪繫の遺言を反芻する。


(『ヤクザにだけは、心を許すな』……わかってるよ、じいちゃん。私はヤクザの駒の一つでもあるだろうから。だけど、私一人で危険を切り抜けられる保障もない——だから私も、私を利用しようとする人たちがいたら、その人たちを利用する)


 紡は深く息を吸って、密かに小さく自嘲した。


(そもそも……私、何かを信じたいと思ったこと。滅多になかったか。これもきっと、〝普通〟じゃないんだろうな)


 そんなことを内心で呟きながら、「頭を上げてください、烏藤さん」と次晴に穏やかな声を掛ける。


「僭越ながらですが。その提案、お受けさせていただけたら私も助かります。ご迷惑をおかけしてしまうと思いますが、しばらくの間。どうぞよろしくお願いします」


 次は紡が深々と頭を下げた。すると、次晴はほっと息を吐いて、その仏頂面が僅かに崩れたような気がした。


「ありがとう。こちらこそ、よろしく頼む。……そうなれば、話が早い。さっそくだが、君には用心棒をつけようと思っている。常に君のそばに置いて、君だけを守るための用心棒だ。些か変わった野郎だが、腕は確かなんで安心してくれ」


 頭を上げた紡は、小さく首を傾げて見せた。


「用心棒、さん……ですか?」

「ああ。ずっとそこにいる、君の迎えを任せた男だ——おい。どうせ手前ェ、ろくに挨拶もできてねぇんだろ。こっちに来い」


 次晴が部屋の扉の方に顔を向ける。そこにいるのは、あの美しい銀色の男しかいないはずだ。

 そう思った時には、いつの間にか紡のすぐ隣に、あの男が立っていた。気配もなく、またもや幽霊の如く隣に移動してきた男を見上げて、紡は反射的にのけ反るように身体を逸らす。


「……」


 紡が息を吞んで男を見つめていると、男はゆらりとその場に跪き、灰と青が混じった淡い碧眼で、ソファーに座っている紡を真っ直ぐ見上げてきた。


銀木しろき 杏珠あんずといいます。俺のことは思うままに、いいように使ってください——お嬢」


 その、幽霊のような。この世のものとは思えないほどの美しさを静かに湛えた、銀色の男の名は「銀木しろき 杏珠あんず」というらしい。


 このヤクザは名前まで奇麗なのかと、紡は自分でも可笑しいと思うところで痛く感心した。

 そして、やはり。ひどく、いい声をしているなと。ヤクザだが、歌ったら、どんな声になるのだろうかと。紡はそんなことが気になって、堪らなかった。

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