第83話

「おい、千智。」



左から落ちた低い声に、正面の彼がハッと我に返った。




「あ、えーっとごめん暴走しそうになったや。怖かった?」




気まずそうに視線を彷徨わせる相手に、らしくないなと思う。


私の顔色を少し窺がうような様子に、首を傾げた。




「怖い?全然だよ。」


「………。」




急に表情や雰囲気がガラリと変わった事に戸惑いはしたけれど、怖いとは少しも思わなかった。


何故か分からないけれど、既視感を覚えた。





「はぁ、ああもう…。」




溜め息を吐いて手で目元を覆った今日の千智君は、少し不安定だ。




嗚呼、分かってしまった。


さっきの千智君に対して覚えた既視感。


あれは、ひー君が怒った時によく似ていたからだ。




「狡いよ。ヒマちゃんに溺れそうで俺は怖い。」





唯一見える口許は、曖昧な苦笑を浮かべていた。



どういう反応をすればいいのだろうか。




千智君の言動の意図を正直よく理解していない私は、無意識の内に助けを求めるように左を見上げた。





「…………。」




そこにある美しい顔は、相も変わらず無表情だ。




「気にするな、たまに不安定になってああなる。」





それでも、きちんと求めていた助言をくれる夜紘君はやはり優しいと思う。




「うん、分かった。」




千智君が触れた事で少し乱れた髪を手櫛で整えて後ろに流す。




「お前……。」


「え?」




一瞬顔を険しくさせた夜紘君は、何事もなかったようにすぐに無表情に戻った。




「いや、何でもない。」




そう言った彼は、髪で隠れていた私の首筋を見ていたような気がした。

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