13

 中睦まじい二人の様子を見ていられなくて、病室を出ようとした時……。


「おい、雫。これ!」


 彼が私にオレンジを投げた。

 怜子が持って来た、差し入れのオレンジだ。


 空中で放物線を描くオレンジを、私は両手を伸ばしてキャッチする。


「……あ、ありがとうございます」


「どう致しまして」


 彼は彼女と顔を見合わせ、ニカッて笑った。


 ナースステーションに戻った私は、デスクの上にオレンジを置いて、ジッと眺める。


 彼がくれた……オレンジ。

 怜子が持って来たオレンジ。

 口にしてもいないのに、じわっと甘酸っぱさが広がる。


「雫、何ボーッとしてるの。美味しそうなオレンジだね。食べるなら早くしなさい。ダイエットしてるなら、私が食べてあげようか?」


 茜がオレンジに手を伸ばす。


「ま、待って……。あとで食べるから」


「はいはい。だったらボーッとしないで。お昼の薬や点滴はもう用意したの?」


「あっ……いけない。忘れてた」


「まじで? ありえないよ。雫、最近変だよ」


「……そうかなぁ。いつもと同じだよ」


「心ここに非ずって感じ。目が回るくらい忙しいんだから、誰かさんのことばかり考えてないで、手を動かしなさい」


 茜に叱咤され、私は口を尖らせる。


 誰かさんって誰よ。

 私は中居保のことなんて、眼中にないんだから。


 デスクの抽斗を開け、彼からもらったオレンジを大切におさめた。


「朝野雫、バリバリ働きます!」


「……まったく、空元気なんだから」


 茜が私を見て笑った。

 私は椅子から立ち上がり、昼の投薬を病室の患者さんごとに用意する。


 確かに……。

 私は変なんだ。


 ――中居保。

 彼が入院してから変なんだ。


 憎らしいくらい俺様で、デリカシーの欠片もなくて、セクハラ大魔王で、大、大、大嫌いなのに、一日中、彼のことが気になって気になって仕方がない。


 まるで熱病におかされたみたいに、思考回路が乱れて上手く作動しない。


 ◇


 翌日、いつものように朝の巡回。中居保は明日退院だ。あとは通院治療となる。


「おはようございます」


 いつものように明るく挨拶をして、病室に入る。


「おはよう。雫ちゃん」


 皆が私に声をかけてくれた。


 いつもの朝が始まる。

 それなのに、ちょっと寂しいのは何故だろう。


「どこか調子の悪いところはありますか?」


 順番に血圧を計り、患者さん一人一人に問診をする。そして最後に、彼のベッドに行く。


「中居さん、お熱は?」


「三十六度二分……」


「変わりはないですか? 腕の痛みは多少和らぎましたか?」


「ん…………と、食欲がないかも」


「えっ? 胃の調子が悪いの? 抗生物質のせいかもしれませんね。先生に胃薬を出してもらいましょうね」


 彼はパジャマの上から胃のあたりを擦りながら、眉をしかめ私を見上げた。


 そんなに痛むの?


「今朝から、こう……胃がキリキリ痛むっていうか……。呼吸も苦しくて胸のあたりがキューッと締め付けられるように痛むんだよ」


「胸? 心臓が痛むのですか? もしかしたら感染症かもしれません。大至急先生を呼びますね」


 彼の脈を測ると若干速い。血圧もやはり高めだ。慌ててナースコールを掴むと、彼がその手を制止した。


「だからぁ、看護師なのにまだ病名がわからないのか?」


 彼は口角を引き上げニヤリと笑った。


「はっ?」


 その意地悪な顔。

 どう見ても心臓や胃に異常があるようには思えない。


「これは恋の病かもな」


「な、何を言ってるの? 人にさんざん心配させて、ふざけないで」


 私は一人でテンパっている。同じ病室の患者さんが一斉に笑った。


「そうじゃ。わしも雫ちゃんに恋患いじゃ。雫ちゃんは明るくて優しくて可愛いから、この病院のマドンナじゃ」


「た、田川さんまで、変なことを言わないで下さい」


 あの大人しい吾郎まで、大口を開けて笑っている。


 なんなのよ。

 いつの間に、みんな彼に丸め込まれたの?


 私をからかって面白がるなんて、最悪だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る